古い車輌の写真

近鉄のナローゲージ 7 120、150

121

RP488 Web#=733 掲載2012/5/17

写真1はサ120形121、1967/8/23近鉄 内部・八王子線内部車庫。

1927年松阪鉄道は電化に備えて日本車輌製造本店で5両の電車を製造しました。そのうちの2輌は付随客車フ21形フ21とフ22でした。長さ11mの半鋼製車体、丸妻(サ150型よりも器量良しですね)で定員68名でした。電気機関車が牽引する場合に備えて付随客車にもパンタグラフが搭載されていました。
松阪線の主力として長く活躍しましたが、所属する会社名は松阪鉄道→松阪電気鉄道→三重交通松阪線と変遷してゆきました。
1944年フ21形は三重交通への戦時合併の際にサ441形サ441とサ442へ改番。
1950年サ441が電装されモ250形250へ改番。
1964年の三重交通松阪線廃止に伴い内部・八王子線へ転属されました。その際に電装解除され付随車へ改造、サ120形121と改番。
1977年の北勢線近代化で押し出されたモニ220形やサ150形の転入で廃車解体となりました。

152

写真2はサ150形152、1967/8/23近鉄 北勢線西桑名車庫。

1950年と1951年に三重交通は 内部・八王子線と北勢線に残っていた古い木造客車を淘汰するために半鋼製付随車サ150形を近畿車輛と帝国車両で12輌製造、北勢線には151〜156の6輌、三重線には161〜166の6輌が配属されました。
車体はモ220形後期車に良く似た四角張った味もそっけもないもので、住友金属工業製の鋳鋼軸ばね式台車を履いていました。
1962年に三重線からサ162が北勢線に転属となりサ157に改番。
1965年の近鉄合併では北勢線のサ151〜157は旧番号のままでした。
1977年北勢線の270系の導入に伴い、151〜157は内部・八王子線に転属。
1982年内部・八王子線の近代化事業に伴う260系の導入で全車廃車。

162

写真3はサ150形162、1970/1/25内部・八王子線内部車庫。

1965年の近鉄合併時に内部・八王子線に所属していた161、163〜166は158〜162に改番されました。
1977年に北勢線から転属してきた151〜157に押し出されて廃車解体。これは経過年数が同じですが、余剰の7輌を北勢線から迎えた方が連結器の改造費用を節約出来ると判断されたためです。

内部車庫

写真3は1970/1/25の内部・八王子線内部車庫。

庫内にはモ212が仮台車を履いて検査作業中でした。写真で見られるように内部車庫は大きな近畿日本鉄道に所属していたため、立派な建屋がとても綺麗に清掃されていました。