45
RP490 Web#=735 掲載2012/5/24写真1はデ45形45、1967/8/23近鉄北勢線西桑名車庫。 1931年北勢鉄道(現在の三岐鉄道北勢線)が電化に備えて三菱電機で20形20と21の2輌を製造しました。三菱電機が主契約者で電機関係を作り、日本車輛が車体と台車を作りました。 員弁川(イナベガワ)の砂利採集事業のために新造された電気機関車で、ずっと国鉄線への積替設備のある西桑名のホッパー線から星川の構内側線までの往復を繰り返していました。

写真2と3はデ45形45、1978/5/14近鉄北勢線北大社車庫。 1944年北勢電気鉄道の三重交通への戦時合併により71形71と72へ改番。 1964年三重交通から鉄道部門が分離され三重電鉄となりました。 1965年三重電鉄が近鉄に吸収合併され、デ45形45と46に改番。

1959年伊勢湾台風で砂利採集線とその諸設備が壊滅的な打撃を受けました。その結果、鉄道としての復旧が諦められ自動車輸送への転換と砂利採集線の廃止が行われました。その後北勢線に残った71は多客時の客車列車や保線列車を牽引するようになりました。 1979年に45は廃車となり車籍を失いました。 1980年代中頃までは北大社車庫の構内入換用となっていました。後に解体され、片方の台車だけが工具として残されているようです。
46

写真4〜6はデ45形46、1970/1/25近鉄北勢線北大社車庫。 1959年に72(後の46)は三重線に転属、古い51形電気機関車に代わって旅客列車を牽引するようになりました。 1964年三重交通から鉄道部門が分離され三重電鉄となりました。 1965年三重電鉄が近鉄に合併され72はデ45形46と改番。 1975年廃車解体。

全長9.3m、自重12.6t、46.6kWX2=93.2kw、吊掛式駆動。プレートフレーム台車の端に連結器が直接取り付けられていました。また台車同志が中間連結器で繋がれていたために、牽引力は車体が負担しませんでした。

デ45形は軽便鉄道の電気機関車としては出力93kwとかなり大型でしたが、鉱山鉄道である栗原電鉄、住友別子銅山線用鉄道、小坂鉄道にはもっと大きな電気機関車が就役していました。また最近観光客輸送で多忙な黒部鉄道では336kwもの大出力を誇るB-B+B-B形のEHR形電気機関車が就役していて、長大な観光列車を牽引しています。
|