古い車輌の写真

近鉄奈良線 1 400、元奈良電鉄

RP493 Web#=738 掲載2012/6/3

1910年に設立された奈良軌道が後の近鉄奈良線の起源で、同年に社名が大阪電気軌道(通称大軌)に変更されました。当初は生駒山地を直線的に越えるためケーブルカーやロープウェイも検討されたようですが、高速都市間電車(所謂インターバン)としての機能が失われるので、標準軌複線電化の長大な生駒トンネルが建設されました。
1914年に大阪の上本町駅〜奈良駅間の30.8kmが開業しました。しかし開業当初は巨額になった生駒トンネルの工事費のせいで経営は困難を極めたようです。
1916年には経営もようやく軌道に乗り、奈良盆地で次々と支線を開業して行きました。1921年の畝傍線(現在の近鉄橿原線)、1923年の桜井線(現在の近鉄大阪線の桜井駅以西)、信貴線(現在の近鉄信貴線)等です。

1921年に京阪電気鉄道と大阪電気軌道(大軌)が共同出資して奈良電気鉄道が設立。
1928年に西大桃山御陵前〜西大寺(現在の大和西大寺)間開業。
1945年京阪神急行電鉄丹波橋駅と連絡工事竣工、京阪神急行京阪線の三条駅まで直通運転開始。
1963年近畿日本鉄道が奈良電気鉄道を合併し、近鉄京都線となる。ここに至るまで京阪と近鉄の間で激しい株式取得合戦がありました。

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写真1はモ400形411、1971/9/8近鉄奈良線大和西大寺車庫。

1969年の奈良線の架線電圧が600Vから1500Vへ昇圧されました。この頃の近鉄は難波線開業など様々な投資案件を抱えていて、この昇圧工事で必要な電車を新造して取り換えることは財政的に無理がありました。橿原線の車両限界拡大工事の遅れで、15m級小断面車体の電車が必要となっていました。そこで従来の小型車体を流用して昇圧工事が行われました。

写真1のモ400形は両運転台で支線区用としてモ400+ク300の2輌編成で運用されていました。

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写真2はモワ60形61、1971/9/8近鉄奈良線大和西大寺駅。

1928年の奈良電鉄桃山御陵前〜大和西大寺間の部分開業に備えてデハボ1001形1001〜1024の24両が名古屋の日本車輌製造本店で製造されました。
1963年の近畿日本鉄道との合併ではデハボ1002〜1024の23両が継承されモ430形431〜453と改番。
1969年モ445(旧デハボ1016)がモワ61形61として電動貨車に改造、昇圧工事が施工されました。
1971年にモワ87形87と改番された後、台車と主電動機が取り換えられました。
1985年に廃車になるまで救援車として西大寺車庫に常駐していました。

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写真3はモワ2830形2831、1969/11/9近鉄大阪線高安車庫。

1930年に大阪電気軌道が桜井線(後の大阪線の一部)で使用する有蓋電動貨車として、奈良線用木造車デボ61形デボ78と79の旧車体と新品の1500V用機器を組み合わせてデワボ1800形1800と1801の2両を製造しました。
1963年にモワ2830形2832と2831へ改番。
1968年にモ448とモ450(元奈良電鉄デハボ1019と1021)が廃車となり、その車体は木造電動貨車であったモワ2830形2831と2832へ転用されました。
1970年にモワ80形84と83へ改番。
1976年廃車解体。