RP499 Web#=744 掲載2012/6/121930年と1931年に近畿日本鉄道の前身の一つである参宮急行電鉄は大阪〜伊勢間にある旧勾配区間を超えて運行する急行用の大型電車デ2200系(旧)57輌を製造しました。両運転台のデ2200形2200〜2206の7輌、特別室と荷物室を備えたデトニ2300形2300〜2307の8輌、付随車サ3000形3000〜3016の17輌、制御車ク3100形3100〜3104の5輌です。 車体は長さ20.6mのリベットで組立てられた半鋼製2扉で正面貫通式、扉が両端に設けられていて2段窓が長い車体全長一杯に整然と16個並んでいました。150Kwの大出力モーターを4台搭載し、下り勾配用の発電ブレーキを備えていました。平坦線での設計最高速度は110km/h、電動車2両と付随車1両の3輌編成でも33/1000上り勾配の均衡速度は65km/hという驚異的な高性能を誇っていました。戦前における高性能電車のピークであり名車と言うべきでした。 1944年合併により近畿日本鉄道となると改番が行われデ2200形はモ2200形、デトニ2300形はモニ2300形になりました。
2223
写真1〜3はモ2200形2223、1970/1/25近鉄大阪線名張検車区。 写真のモ2223はモ2200形旧に属するもので、1960年ごろから中央に扉が増設されロングシート化されていました。残念なことに表情を厳ついものにしていたアンチクライマーは取り除かれていました。
この角度からモ2223を眺めると、2段窓が長い車体全長一杯に整然と並んでいた時代を想像できます。 台車に注目してください、スイスからの技術導入で作られた新型のシュリーレン形台車を履いています。
モ2200系(旧)は1971年より廃車が開始され、1974年までに全車廃車解体されてしまいました。戦前の最優秀電車モ2200形が1次車も2次車も1輌残らずスクラップになったのは大変惜しまれます。
2232
写真4はモ2200形2232、1971/9/85近鉄大阪線高安検車区。 1939年〜1941年に参宮急行電鉄はデ2200形の改良増備としてデ2200形(新)デ2227〜2246の20輌、ク3100形ク3110〜3114の5両と貴賓車2600号を日本車輛で製造しました。扉が窓2枚分内側に寄せられ、平滑な張上げ屋根となりました。
2233
写真5はモ2200形2233、1971/9/85近鉄大阪線高安検車区。 1972年〜1975年に殆どの2200系(新)車輛が廃車となりました。4両だけが残されモ2231〜モ2233は電動貨車に改造され、モワ20形20〜22となりました。 1981年荷物電車となっていたモワ22が廃車。 1983年に救援車として残されていたモワ20と21が廃車。
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