古い車輌の写真

近鉄大阪線 4 2200 3100

2237

RP500 Web#=745 掲載2012/6/13

写真1と2はモ2200形(新)2237、1970/1/25近鉄大阪線名張検車区。

1939年と1941年に参宮急行電鉄は日本車輛製造本店でデ2200形(新)として2227〜2246の20輌を作りました。
1944年の近畿日本鉄道発足に伴いモ2200形となりました。

1948年にモ2237は事故に遭って車体を大破しました。
1949年に車体を新造して復旧しましたが、他のモ2200形(新)とは、車体形状が若干違っていました。
1972年〜1975年に大半の2200系が廃車されましたが、このモ2237は生き残って車番はそのままで、伊勢から大阪まで運行されていた鮮魚荷物列車用として活躍を続けました。
1977年に2代目モワ22へ改番されています。
1981年に廃車となり、名車モ2200系は全滅となりました。

2240

写真3と4はモ2200形2240、1971/9/8近鉄大阪線高安検車区。

もう廃車が近いのか、高安検車区区の留置線で1輌だけが残されていました。この2240は片運転化も3扉化も免れて、美しい張上屋根のままで晩年を迎えていました。ヘッドライトをシールドビームに改造する際には大型ライトケースに2灯の小型ライトを組み込んでいて、妻面の表情が崩れていませんでした。

3102

写真5はク3100形3102、1971/9/8近鉄大阪線高安検車区。

1930年に区間運転用の両運転台式の制御車ク3100形として3100〜3104の4輌が川崎車輛で増備されました。車体はデ2200型(旧)と同じ設計でした。
1959年から1960年にかけて3扉化改造され、のち車内もロングシート化されたが、運転台はそのまま改造されずに片隅式のまま使用。
1974年に廃車。

3111

写真6はク3100形3111、1970/1/25近鉄大阪線名張検車区。

1941年に片運転台の制御車としてク3110形3110〜3114の5両が製造されました。車体はデ2200型(新)と同じ設計でした。
1963年から1965年にかけて3扉に改造されました。増設された中央の扉は両開きでした。
1973年〜1975年に全車廃車解体されました。

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