古い車輌の写真

近鉄大阪線 5 1450、1460、1560

1562

RP501 Web#=746 掲載2012/6/15

写真1はク1560形1562、1970/1/25近鉄大阪線名張検車区。

1950年〜1952年に近鉄は傘下の近畿車輛でク1560形1561〜1569の9輌を製造しました。大阪線には古いが出力(150KwX4台)に余裕のある通勤型モハがたくさん在籍していたので、クハを増備してMc+Mc+Tcの3輌編成を組成して輸送力増強を図るためでした。試作車的な要素も多く盛り込まれ、車体構体全体に強度を負担させる全鋼製準軽量車体で張り上げ屋根、ヘッドライトは半埋込式、「ノーシル・ノーヘッダーの平滑な窓周り、蛍光灯による室内照明を備えていました。台車は当初近畿車輛製のKD-3形、または住友金属工業のFS-104形(写真1の1562)を履いていました。
1954年に1564と1565は下記のモ1450形に改造。
1973年残りのク1560形は名古屋線に転属。1562は2代目1565、1563は2代目1562へ改番。
1974年に1561と1562は運転台が撤去されサ1560形1561と1562になりました。
1977年から順次改軌の上養老線へ転属。この時までにヘッドライトは元の埋込式ケーシングを取り除き、間隔を広くとったシールドビーム2灯化、つまり近鉄通勤型電車と同じデザインとなり表情が大きく変わりました。
1984年に廃車。

1452

写真2はモ1450形1452、1970/1/24近鉄大阪線高安工場。

1954年に上記のク1560形1564と1565の車体を流用して、高性能電車の試作車両として電装されモ1450形1451と1452となりました。パンタグラフは1452だけに装備、MM'ユニット方式を初めて採用、近畿車輛がスイスのシュリーレン社から技術導入して作ったシュリーレン台車KD-6(1451)とKD-7(1452)を履いていました。
1957年まで重要な技術のテストに大きな役割を果たし、近鉄の量産車輛の礎となりました。
1960年に量産車に合わせる改造が行われました。
1975年に名古屋線に転属。ヘッドライトが2灯化され表情も標準的なものに変わりました。試作車という扱いにくい車輛だったために閑散線区である志摩線のローカルに運用されるようになりました。
1985年に廃車。それまでに塗装はクリーム・マルーン → マルーン一色 → 肌色・青帯 → マルーンレッド一色とめまぐるしく変わっています。

1465

写真3はモ1460形1465、1970/1/25近鉄大阪線名張検車区。

1957年に近鉄はモ1450形の改良型として、近畿車輛で大阪線初の高性能量産型電車として、モ1460形1461〜1466の6両を製造しました。偶数車と奇数車のMM’ユニットで3編成となっていました。
1960年に他系列と併結するための改造。
1972年に運転室が半室式から全室式に改造。
1975年に名古屋線に転属、最後は閑散線区の志摩線でローカル列車に運用されていました。ヘッドライトは後に埋込式のケーシングに2灯のシールドビームを組み込んで2灯化されました。
1987年から1988年に廃車。

デ2200形のリベットだらけの豪放なデザインも魅力ですが、この1460系のような優しい印象を与える埋め込み式ヘッドライトと張上げ屋根、平滑でスマートな溶接構造の車体も別の魅力にあふれているのではないでしょうか。

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