古い車輌の写真

近鉄名古屋線 6300、6400、6500

6307

RP505 Web#=750 掲載2012/7/17

写真1はモ6300形6307、1970/1/24近鉄名古屋線四日市駅。

1937年関西急行電鉄は今の近鉄名古屋線近鉄名古屋駅〜桑名駅間開業に備えて日本車輌製造本店でモハ1形モハ1〜10の10輌を製造しました。リベット組立による半鋼製車体で全長17.0m、出力93.25kwX4、台車は日車製D-16。
1938年モハ4が電気機関車と衝突事故を起こし、事故復旧の際にモハ11に改番。
1940年に関西急行電鉄が参宮急行電鉄に合併されましたが、改番は行われませんでした。
1941年に関西急行電鉄が参宮急行電鉄に合併され、番号順にモ6301形モ6301〜モ6310と改番。
1956年に片運転台化、ロングシート化、車内の更新工事が行われました。
1959年に名古屋線系統が標準軌に改軌され、モ6300形は全て台車を近畿車輌製KD-32Aへ新製交換されました。
1970〜1972年に社モ6307以外は養老線へ転属、1974年にモ5300形とク5300形に改番、1983年まで運用されていました。
1973年に名古屋線に残っていた写真1のモ6307は廃車解体となりました。

6311

写真2はモ6310形6311、1970/1/24近鉄名古屋線明星検車区。

1942年関西急行電鉄は帝國車輛工業で6311形モハ6311〜6315の5輌をモ6301形の増備として製造しました。溶接による平滑な半鋼製車体で全長17.0m、台車は帝國車輛工業UD-26。

6314

写真3はモ6300形6314、1970/1/24近鉄名古屋線明星検車区。

1959年の名古屋線改軌の際には、モ6315以外のモ6311形の台車が近畿車輛KD-32BとCに交換されました。
1977年モ6311形6311〜6316がモ5000形5001〜5006へ改番、1067o軌間にに改軌、台車がD-16CとD-18(モ5006のみ)に交換のうえ伊賀線へ転属。
1986年までに860系が奈良線から転入してきて、廃車解体となりました。

6403

写真4はモ6400形6403、1970/1/24近鉄名古屋線明星検車区。

1950年に近鉄は1067o軌間だった名古屋線の特急用として、名古屋線系統の在来車をベースにした中型車を製造しました。両運転台Mcのモ6401形が6401〜6403の3両、Tcのク6551形が6551と6552の2両で合計5両が就役しました。溶接による平滑な半鋼製車体で全長17.0m、出力112kwX4、定員名全長17.0m、台車は日本車輌製造のD18形イコライザー式。
1959年名古屋線改軌時は標準軌用シュリーレン台車に履き替えて名古屋線に残留。
1961年に普通車に格下げ。
1979年までにすべて廃車解体。

6507

写真5はク6500形6507、1970/1/24近鉄名古屋線四日市駅。

1929年吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)は大阪阿部野橋直通運転の開始に備え、川崎車輌兵庫工場でモハ201形201〜206の6輌、サハ301形301〜314の14輌、合計20両を製造しました。
1929年大阪電気軌道が吉野鉄道を合併。
1938年大阪電気軌道の傍系会社である関西急行電鉄(現在の近鉄名古屋線)が路線延長した際に20輌全部が貸与されました。
1941年の関西急行鉄道成立に伴う形式称号変更でサハ301形301〜310はク6500形6501〜6510、311〜314はク5510形5511〜5514となりました。
1959年の改軌では改造したD-16台車と交換。
1970年に6502〜6508が台車を狭軌用のD-18と交換して養老線へ転属。
1977年までに廃車解体。