古い車輌の写真

近鉄特急 5 10000系 2

RP510 Web#=755 掲載2012/7/26

写真1は編成の中間にはさまれたク10003+サ10004+ク10005の部分、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線。

車輌限界の小さな日本の鉄道でビスタドームを実現するにはかなり無理があったようです。7輌編成という長大な列車の中でビスタドームを設置できたのは中間に挟まれたクが2輌だけでした。

10003

写真2と3はク10003、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線。

竣工時、このク10003の手前側には運転台がありました。短い車体にたくさんの機器を濃密に組み込んだサ10004のトイレを貯留式に改造するのは無理で、そのトイレを閉鎖して、ク10003の運転台を撤去してトイレに改造しました。

中間に挟まれたビスタドーム車のク10003とク10005は連接車で軸重制限をクリアするために、両端のMMユニットモ10001+10002、10006+10007の4輌よりも短い車体でした。

10004

写真4はサ10004、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線。

編成に中央に位置していたサ10004は前後のビスタドーム車に冷気を供給する集中冷房装置の設置、ビスタドーム車から追い出されてきた電装品などを高密度に床下に装備したために、前後のク10003やク10005よりも更に短い車体となって厳しい連接車の軸重制限をクリアしなければなりませんでした。

10005

写真5と6はク10005、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線。

1958年に就役すると大阪と伊勢を結ぶ特急列車で活躍していました。しかしこのモ10000系は一編成しか作られなかった試作車で、よりリファインされた後継車モ10100系が就役すると邪魔者扱いされました。座席予約システムにも適合せず、予備編成も無いので使いにくい列車だったことでした。

1966年に大阪線河内国分駅で発生した列車追突事故モ10007の前頭部が大破しました。
1967年に破損した流線形前頭部分は貫通扉付きの標準的な前頭部で復旧されました。

1971年に就役から僅か13年で廃車となり、残念ながら写真のような状態で解体されてしまいました。電装品は2680系に流用されましたが、台車は全て廃棄されました。

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