古い車輌の写真

近鉄特急 4 10000系 1

10001

RP509 Web#=754 掲載2012/7/25

写真1と2はモ10000形10001、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線、廃車解体待の状態。

1958年に近畿日本鉄道は大阪名古屋間で運行される国鉄の特急形(後の151系)、急行形電車(後の153系)に対抗する画期的な新型特急電車の試作車として、世界で初めての2階建車両による高速電車モ10000系7輌編成を1本近畿車輛で製造しました。

これは当時近鉄社長であった佐伯勇氏がアメリカを視察した際に、グレート・ノーザン鉄道の代表列車「エンパイア・ビルダー」に連結されていたヴィスタドームと名付けられた2階建展望車を利用し、ヒントを得たと言われています。このようなとんでもない新しい構造の電車を導入するにはワンマン経営者の強力なイニシアティヴが必要で、当時の活気と希望にあふれていた日本を象徴するものでしょう。

写真3と4はモ10000形10002、1971/9/8近鉄大阪線高安駅留置線。

モ10000系はモ10001+モ10002+ク10003+サ10004+ク10005+モ10006+モ10007の7輌編成。両端の10001+10002と10006+10007は20mの通常車体でM+M'ユニット2組となっていました。中間の10003と10005はやや短い2階建のビスタドーム車、中央の10004はぎっしりと機器を搭載して重くなったために軸重制限をクリアする短い車体でした。10003+10004+10005の台車は連接構造でした。当時は連接構造の高速電車は下記の西鉄500系しかなく、開発には大きな苦労が伴ったと思われます。

近鉄のモ10000系はシートラジオ、列車公衆電話、冷房装置、回転式クロスシートが装備され、側窓は複層ガラスによる完全固定化されていて、国鉄私鉄を問わずこの後に登場する優等列車に大きな影響を与えました。

電車としての基本的な動力性能も33パーミルの急勾配(青山トンネル付近)でも85kmの均衡速度を持ち、中間のTc+T+TCを除いたMc+M+M+Mcの編成では平坦線均衡速度145km/hという驚異的な高速性能を持っていました。

西日本鉄道 モ501

写真5はモ500形501A+501C+501B、1973/8/4西鉄大牟田線二日市車庫にて。

1942年に西日本鉄道は発足後初めての新形車輌として汽車製造で日本初の本格的な高速鉄道用連接車モ500形501と502(当初は2車体1編成で一つの番号)の2編成を作り、大牟田線の急行用として就役しました。
1948年にロングシート化され、中間車体を組み込んで3輌編成が2本となりました。両端の車体は16m、中間車体は少し短くて12.7mで、車体前面は少し傾斜がつけられて半流線形となっていました。追加の写真と記事はこちらをご覧下さい。