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RP508 Web#=753 掲載2012/7/24写真1はク580形582、1971/9/8近鉄京都線大和西大寺検車区。 1957年奈良電鉄(現在の近鉄京都線)は特急列車増発に備えてナニワ工機でデハボ1350形1351〜1353の3輌製造しました。当時の奈良電鉄は財政状況が厳しく、1351は1956年に廃車となったデハボ1000形1001の機器を再利用、1352は検査時予備としてプールされていたデハボ1000形の予備部品を流用しました。1353はデハボ1101形1101をクハボ700形704に改造して捻出した機器と台車を転用しました。 1963年近鉄は奈良電鉄を吸収合併、デハボ1350形ははモ690形691〜693となりました。 1964年京都線特急車としてモ692と693を整備し、ク580形581と582へ改番。
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写真2はモ680形682、1971/9/8近鉄京都線大和西大寺検車区。 1954年に奈良電鉄は近鉄奈良〜大和西大寺〜奈良電京都間の特急列車を運行するためにナニワ工機で、当時の最新技術を駆使したデハボ1200形1201と1202の2輌を作りました。 1963年近鉄は奈良電鉄を吸収合併、デハボ1200形はモ680形681と682へ改番。 1964年京都線特急車として整備され、複層ガラスによる固定窓化や冷房装置搭載と鋼体補強、張り上げ屋根化、オレンジと紺の特急車塗装などで面目を一新しました。 1974年モ680系は4輌共志摩線に移籍、エアコン付きのクロスシート車としてローカル運用に就きました。 1987年廃車。
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写真3と4はク580形583、1971/9/8近鉄京都線大和西大寺検車区。 1940年奈良電鉄は梅鉢車輌でクハボ600形601〜603の3両を製造しました。当初はデハボの増備を希望していたのですが、日中戦争が激しくなり奈良電鉄では初めてのクハボとして就役しました。 1954年に大規模な更新修繕が施工されました。大きな窓を持つ軽量構造の半鋼製車を戦争中に酷使したためで、窓を小さくして車体の剛性を確保しました。同年就役したデハボ1200形の制御車として602と603がセミクロスシートを装備して特急列車に起用されました。 1963年近鉄は奈良電鉄を吸収合併、クハボ600形601〜603はク580形583、581、582(初代)へ改番されました。この内ク581と582(初代)は上記の680系に改造されました。

1964年ク580形で残っていた583は京都橿原線系統特急用の680系が検査時に代替充当される予備特急車として整備されました。当時は京都からの特急列車の需要が期待できないということで、京都橿原線系統で運用できる複電圧で狭い幅の特急専用電車を新造することは無理がありました。上記モ680系は大規模な整備が施されましたが、予備のモ683系(モ683+モ684+ク583)は最小限の整備にとどめられ、冷房装置も搭載していない遜色特急でした。 1976年遜色特急車であったために車庫で昼寝をしていることが多かった684と583が廃車解体となりました。683は大阪線の鮮魚列車として転用され1989年に廃車となりました。
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写真5はモ5820形5821を先頭とする4連、1971/1/15近鉄養老線西大垣駅。 吉野線で特急列車として運用されていたモ5820形が、モ18000系に押し出されて養老線に都落ちしてきた直後の写真です。塗装はまだオレンジ色と紺色のままでヒーターのよく効いたクロスシートの快適な電車でした。

写真6はモ5820形5821、1976/3/21近鉄養老線大垣駅。 もと特急として活躍した優秀な電車も、このように一般用の西瓜色一色に塗装されると単なる通勤電車に過ぎないように見えてしまいます。 養老線時代の状況は 近鉄養老線 1 と 近鉄養老線 2 をご覧ください。
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