古い車輌の写真

近鉄 大阪線電気機関車

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RP518 Web#=763 掲載2012/8/2

写真1〜3はデ80形81、1970/1/24近鉄高安検車区。

1923年と1924年に吉野鉄道(後の近鉄吉野線)は、スイスのブラウン・ボベリー社から凸形電気機関車1〜3の3輌を輸入し、吉野杉の搬出等に活躍しました。
就役当初は製造当初は写真6に良く似た、車体正面機械室が左右2つに分かれ中央に通路があるというユニークな車体でした。

写真5と6はテ81形デ81、196911/9近鉄大阪線高安検車区留置線にて。

1929年大阪電気軌道が吉野鉄道を合併。1〜3はデ1形3〜5に改番され、主に南大阪線と吉野線で貨物列車を牽引していました。
1951年に写真で見られるような通常の凸形に改造。
1959年に標準軌に改造され大阪線に転属となり、デ81形81〜83に改番。その後デ35形35〜37に改番され、主に工事列車を牽引していました。
1976年に3輌とも廃車されました。

全長9.5m、自重30.0t、出力44.1kwX4。スイス製電気機関車らしくプレートフレーム式台車を履いていました。車体の裾に見える配管のようなものは極端に細長いエアタンクです。

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写真4はデ80形83、1970/1/24近鉄高安検車区。

京福電鉄福井支社テキ501形501

写真1〜3はテキ501形501、1973/6/3京福電鉄福井支社福井口車庫にて。

庄川水力電気は建設資材輸送に使うため加越鉄道加越線終点青島町から小牧ダム堰堤までの専用線4.6Kmを敷設しました。当初は蒸気機関車1と2で運行する計画でしたが、自社の電力を使うため直流600Vで電化されました。
1925年に川崎造船所で庄水3号形庄水3〜庄水6(蒸気機関車の続き番号)の4輌が製造されました。前後のボンネット部分の中央に通路を設けた独特の車体を持っていました。このデザインは上記の吉野鉄道1〜3の影響を受けたのではないかと思われます。車体長9.9m、自重は25.4tの小型電気機関車ですが、車体中央部分比較的低くて長いので重量の割には大きく見える電気機関車でした。

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