古い車輌の写真

交通科学館 1 233、1801

233

RM027 Web#=774 掲載2012/8/26
修正1 2012/9/1

写真1と2は230形233、1970/3/17交通科学館。

1961年に大阪環状線全通を記念し、大阪環状線弁天町駅の側に「現代・未来の交通に関する展示を中心とした交通科学館」が開館しました。したがって鉄道車輛の実物展示もC53と客車3両というささやかなものでした。
私が関西学院大学在学中に鉄道研究会に所属しており、随分とここにはお世話になりました。
1990年名称が交通科学博物館となりました。そして鉄道関係の実物車輛展示も充実してきて、現在は20輌を超えております。

この233は1903年日本で2番目の民間機関車メーカーである汽車製造会社が初めて官設鉄道に納入した機関車で、その設計はイギリスのナスミス・ウイルソン社製A8型1-B-1型タンク機関車をスケッチしたものです。1903年には6輌892〜897が納入され後に230型230〜235となりました。成績が良かったので1903〜1909年の間に41輌が製造されました。
全長9.8m、運転整備重量35.9t、最大軸重10.3tと地方私鉄の貧弱な線路にも使える蒸気機関車だったので私鉄や専用鉄道への払下げもたくさん在りました。
1945年時点では浜松に233と249の2輌が配置されていました。

写真3は230形233、1964/9/4国鉄鷹取工場。

この233は交通科学館に収蔵される前に国鉄鷹取工場で保管されていた当時の写真です。どうも私のようなローカル鉄道マニアにとっては、博物館でイギリス風にライニングを入れお洒落をした姿よりも、地方の機関区でいろいろな機器を載せられて、くたびれた格好の方が魅力的に見えました。

1801

写真4〜6は1800形1801、1966/7/10交通科学館。

1881年イギリスのキットソン社から8両が輸入され、54〜68の偶数となりました。
1892年形式がYとなりました。
1893年形式がB2となりました。改番が実施され39〜42、44、46、48、50となりました。
1909年鉄道院の車両形式称号規程が制定され、1800形1800〜1812(私鉄買収機を含めて)となりました。

1930年高知鉄道(後の土佐電気鉄道安芸線)が1801と1803の2輌を購入。
1940年に1801が東洋レーヨン滋賀工場に譲渡、番号は102となりました。
1964年東洋レーヨン滋賀工場で廃車、国鉄へ寄贈され交通科学館で保存。
1966年鷹取工場の手で復元整備され、番号も1801に戻されました。

全長8.8m、運転整備重量39.8tとCタンク機関車としては重量級で最大軸重が14.0tもあり、地方私鉄や専用鉄道の貧弱な線路では使えなかったようです。最後の東洋レーヨン滋賀工場(延長800m程)でも空気ブレーキは設置されませんでした。

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