古い車輌の写真

交通科学館 2 C53 45

C53 45

RM028 Web#=775 掲載2012/8/31

写真1〜3はC53形C53 45、1966/7/10交通科学館。

1925年に鉄道省がアメリカン・ロコモティヴ社から6輌だけ輸入した2代目8200形(1928年の車両形式称号規程改正によりC52形に変更)3シリンダー式蒸気機関車の改良形として、C53形が1928年と1929年に汽車製造と川崎車輛で97輌製造されました。写真のC53 45は1928年に汽車製造で作られました。

8620形やC51形のようなイギリスの影響を受けたデザインから、ドイツの影響を受けたシンプルで端正なデザインに変わりました。

狭軌で幅の無い内側台枠の中にシリンダーを組み込むのはかなり無理が有ったようで、保守を担当する人たちからは嫌われていました。それでも戦争中は旅客列車用蒸気機関車を新製するわけにもいかず、機関区の保守担当者の無理な努力の上に運用されていました。

戦争が終わってC59やC62のような優秀で単純な構造の旅客列車用蒸気機関車が大量に製造されるようになると、真っ先に槍玉にあがり1948年から1950年の3年間で97輌全てが廃車となりました。

写真4〜6はC53形C53 45、1970/3/17交通科学館。

1950年にC53 45は廃車となり国鉄吹田教習所の教習用車両となりましたが、その後鷹取工場へ移され放置されていました。
1961年に運行可能な状態まで復元工事が行われ、吹田と鷹取の間で記念列車を牽引しました。このときの復元工事は最小限のもので、薄く摩耗していた動輪のタイヤは交換されず、か細く痛々しい足回りのままでした。

1962年から鉄道90周年事業の一環として大阪市港区に開館した交通科学館(現在の交通科学博物館)に静態保存されていました。開館当初は鉄道だけの博物館ではなかったので、実物車輛の展示は写真1〜3に見られるようにC53 45と旧型客車が3輌だけでした。

後にC53 45の隣にC62 26がやって来ましたが、まだ上屋が無くて広々とした青空の下で撮影出来ました。

後に京都市の梅小路蒸気機関車館に移され、現在もそこで静態保存されています。

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