古い車輌の写真

交通科学館 3 C62 26と客車

C62 26

RM029 Web#=776 掲載2012/9/1

写真1と2はC62形C62 26、1970/3/17大阪市弁天町の交通科学館。

1948年C62 26は日本車両製D52 46のボイラーを流用して川崎車両で竣工しました。広島、名古屋、宮原、梅小路、下関、糸崎と関西で活躍しました。
1957年に鷹取工場製の新しいボイラーと交換。
1966年廃車、その後交通科学博物館で静態保存。

当初は写真で見られるように露天で雨ざらしでした。現在は立派な上屋に保護されてD51 2の隣に保存されていますが、写真を撮りにくい位置になりました。

サンフランシスコのケーブルカー

写真3はサンフランシスコのケーブルカー、1966/7/10交通科学館。

この路面電車の前身であるケーブルカーは、線路中央のケーブル用溝の中を定速度で走っている鋼鉄製ケーブルを運転士(特にグリップマンと呼ばれる)がテコの原理を利用した装置で掴むことによって、車両を走行させています。

1959年にサンフランシスコ市より大阪市へ親善のために贈られたカリフォルニア・ストリート線の61号車です。
1962年から大阪市より当館へ寄託展示されています。

マイテ49 2

1939年東京オリンピック(太平洋戦争のために中止となった)に備えて最後の新製展望車スイテ37040形スイテ37041が作られました。
1941年の称号規定改正によりスイテ49 2に改番され戦争中は田舎に疎開。戦後は直ちに駐留米軍に接収され専用列車に使用されました。接収解除後、東海道本線特急列車「はと」に使用されました。この時期にエアコンが装備されたために重量が増しマイテ49 2となり、塗装も青色となりました。
1960年には1等がなくなりマロテ49 2と改称、団体専用に格下。
廃車後交通科学館でマイテ49 2に標記を復元し1等車の白帯を巻いて保存展示されていました。
1987年にJR西日本が車籍を復活させて、今でもJR西日本がイベント用に使用しています。

マロネフ59 1

写真4はマロネフ59形マロネフ59 1、1966/7/10交通科学博物館。

1938年鷹取工場で皇族用としてマイロネフ37290形が3輌製造されました。その後の変遷は極めて複雑です。マイロネフ37290形マイロネフ37292→1941年スイロネフ38 3→スイロネ37 3→進駐軍の接収→1950年特別職用車スヤ48 1→1952年皇太子殿下用非公式御乗車用スイロネ37 3→1952年エアコン搭載による重量増加でマイロネフ38 1→1955年モノクラス制によりマロネフ59 1、そして1961年に廃車。当初は雨ざらしでしたが今は建て屋の中に保存されていて、写真を撮るのは困難になりました。

スシ28 301

写真5はスシ28形スシ28 301、1966/7/10国鉄大阪環状線弁天町駅近くの交通科学博物館にて。

1933年のスロシ38000形として竣工、1941年車輌称号規定改正に伴いスロシ38型、1944年戦時改造によりマハシ49 14、1953年にスハシ38 102となって大阪青森間の急行日本海で使用されていました。
1961年に廃車となり交通科学博物館で食堂として使用するため高砂工場で全室食堂に改造され標記がスシ28 301となりました。

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