古い車輌の写真

茨城交通 湊線 1 ケハ45、ハフ46

RP530 Web#=779 掲載2012/9/4

茨城交通が運営していた三つの鉄道線で湊線だけが第三セクターとして残っています。
1907年湊鉄道設立。
1913年勝田〜那珂湊間がを業。
1928年勝田〜阿字ヶ浦間が全通。
1944年太平洋戦争中の陸運統制令で、水浜電車、茨城鉄道などと合併し茨城交通が発足、同社の湊線となりました。
2008年ひたちなか海浜鉄道に移管。
2011年東北地方太平洋沖地震の影響により路線が被災、全線で不通、バス代行となりましたが同年中に全線復旧しました。

ケハ45

写真2はケハ45形ケハ45、1975/6/7茨城交通湊線那珂湊車庫。

1933年鉄道省はキハ36900形の第一陣として半鋼製ガソリンカー、キハ36900〜36935の36輌を製造しました。すぐ後に改番され初代キハ41000形となりました。
1948年千葉地区に配属されていたキハ41000形12輌は天然ガス動車へ改造キハ41200形となりました。しかし天然ガスが燃料としては高価であッたためディーゼルカーの改造されキハ41300形となりました。
1957年の形式称号改定でキハ04形となりました。
1958年茨城交通茨城線で国鉄からキハ04 5の払下げを受けてケハ45形ケハ45として就役。
1971年茨城線の廃止に伴い湊線へ転属。

ハフ46

写真3と4はハフ46、1975/6/7茨城交通湊線那珂湊車庫。

東野鉄道が国鉄からキハ41000形キハ41008の払下げを受けてキハ500形キハ502として就役。
廃止となった東野鉄道から譲渡され、茨城交通湊線ではケハ45形ケハ46として就役。
後にエンジンを降ろされて客車となりハフ46として使用されました。

写真は客車となった後ですが、まだヘッドライトや運転台が残されていました。

この頃の茨城交通湊線の車両は、多くの車輛が譲渡されて来た羽幌炭鉱鉄道のカラースキームを採用して臙脂地に白帯でした。古いディーゼルカーにもよく似合うシンプルな塗装でした。