古い車輌の写真

茨城交通 湊線 3 ケハ600、キハ2000、キハ22

ケハ601

RP532 Web#=781 掲載2012/9/9

写真1〜3はケハ600形ケハ601、1975/6/7茨城交通湊線那珂湊車庫。

1960年茨城交通は新潟鐵工所が試作的に開発した日本初のステンレス製気動車ケハ600形ケハ601を購入しました。海浜に近い立地の湊線に入線。正面は妻面上部に明かり取り窓がある変わった湘南型、全長19.5m、自重29.0t、出力180PSのDMH17Cエンジンを搭載、定員128名のロングシートでした。

登場時より液体式であるが総括制御不能で、鹿島臨海鉄道からの譲渡車などに押されて晩年はほとんど運用の機会がありませんでした。
1992年廃車。車体のみ那珂湊機関区に残され倉庫となっていました。市民団体「おらが湊鉄道応援団」の手により整備され、現在はギャラリーになっています。

キハ2004

写真3と4はキハ2000形キハ2004、1975/6/7茨城交通湊線勝田駅。

1966年留萌鉄道は新潟鉄工所でキハ2000形キハ2004を製造しました。
1970年留萌鉄道の廃止に伴い茨木交通湊線に譲渡。

茨木交通湊線に来てから臙脂地に白帯という羽幌炭礦鉄道色に塗装されていました。板張りの床で今は淡黄色地に赤帯の旧国鉄準急色に塗装、ワンマン改造済みで現役車です。

キハ22 3

写真5はキハ22形キハ222、1975/6/7茨城交通湊線那珂湊車庫。

1960年〜1966年に羽幌炭礦鉄道は富士重工業でキハ22形キハ221〜223の3輌を製造しました。国鉄のキハ22型と同じ設計で酷寒地向けの耐寒仕様車(旋回窓付き)、全長20.0m、自重32.3t、エンジンはDMH17C、定員81名。
1970年から1971年にかけて羽幌炭礦鉄道の廃線に伴い3輌とも茨木交通湊線に譲渡されました。臙脂地に白帯という羽幌炭礦鉄道色はなかなかおしゃれな色で、ほかの車両も順次この塗装に変えられていきました。
その後キハ222は旧国鉄気動車標準色に近い藍色地に窓周りベージュの2色塗装、キハ223は白地に赤・青帯の茨城交通色となりました。
1997年キハ221は廃車、2009年に解体。
2009年キハ223が廃車、羽幌炭礦鉄道色に変更して埼玉県さいたま市緑区にある「ほしあい眼科」にて保存のため2009年に搬出。