古い車輌の写真

御坊臨港鉄道 1 キハ41000形 キハ202

御坊臨港鉄道 キハ202

RP026 Web#=81 掲載2008/2/26

現在の紀州鉄道は以前御坊臨港鉄道と呼ばれていました。この鉄道は紀勢西線(開通当時は紀勢線が全通する前)と御坊市街の連絡を目的に1931年に開業しました。当初から経営は困難だったようで、戦後の水害や自動車の普及により1960年代という早い時期には廃止の危機が訪れていました。

ところが1972年に東北の磐梯急行電鉄(不動産会社がもと日本硫黄株式会社の経営する軽便鉄道を買収して改名)の子会社である東京の磐梯電鉄不動産が御坊臨港鉄道を買収しました。鉄道会社が経営している不動産会社と言う看板を得るためではなかったかと思われます。社名が紀州鉄道という大きな地域を示すように変更され、その後に紀州鉄道は不動産とリゾート開発が主体の鶴屋産業という会社の傘下に入りました。鉄道の経営は本業の不動産業が好調のため安泰のようです。

全長3.4kmのうち1989年4月1日に末端の西御坊駅〜日高川駅0.7kmが廃止され僅か2.7kmとなりましたが、紀州鉄道となってからは廃止の噂は出ていません。中古車ながら冷房つきのレールバスを導入して全列車のワンマン化、記念切符やグッズの販売など、鉄道部門としての経営努力も払われています。

このページの写真にあるキハ202の外観は単なる鉄道省標準型機械式気動車のキハ41000型ですがとても複雑な経歴を持っています。

1933年田中車輌製の鉄道省キハ41000形41328
国鉄で改番がありキハ04型キハ0429
1961年に一畑電鉄に譲渡され、もと大社宮島鉄道であった立久恵線でキハ5
水害のために1965年立久恵線が廃止されると有田鉄道に譲渡されキハ202
その後に御坊臨港鉄道に譲渡されキハ41000型キハ202と番号はそのままで使用されました。

御坊臨港鉄道ではキハ41000形という形式を名乗っていましたが、なぜか番号標記はキハ202です。この鉄道はどうも標記にアバウトなところがありキハ41000型は4台在籍していましたが全て形式と番号標記がちぐはぐでした。
芸備鉄道キハニ19であったキハ41000型キハ40801号は標記がキハニ40801でした。
鉄道省のキハ41000型キハ41055はキハ41000型キハ308と名乗っていました。
鉄道省のキハ41000型キハ41044は江若鉄道C14型キハ16を経てキハ41000型キハ16となりました。

鉄道模型ファンの目で見るとこのキハ41000型は長さも手頃、省線電車と比べると優しい表情で、ややこしい架線やパンタグラフも不要となかなか好ましい車ではないでしょうか?

私がこの写真を撮影したのは1971/10/24で、まだ全検から時間が経過していないのかマルーンとクリーム色の塗装がピカピカでした。

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