古い車輌の写真

関東鉄道筑波線 1 キハ41000系、キハ541

RP540 Web#=789 掲載2012/9/19

1914年初代筑波鉄道設立。
1918年土浦〜岩瀬間全通。
1945年常総鉄道と合併して常総筑波鉄道となり、同社の筑波線となる。
1965年常総筑波鉄道が鹿島参宮鉄道(現在の竜ヶ崎線および後の鹿島鉄道線)と合併して関東鉄道筑波線となる。
1979年関東鉄道の子会社として2代目筑波鉄道が分離。
1981年貨物営業廃止。
1987年廃止。末期の筑波鉄道は比較的長い営業路線でしたが、常総線等と比較すると在籍車両が少ない区間でした。

キハ41001

写真1はキハ41000形キハ41001、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。

1950年国鉄から関東鉄道常総線用としてキハ41000形4輌の払下げを受けました。国鉄キハ41122はキハ41000形キハ41001として就役しました。

キハ41003

写真2はキハ41000形キハ41003、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。

1950年払下げをうけた4輌のうちキハ41086はキハ41000形キハ41003として就役しました。

このキハ41000形は常総線で用済みになった後、ここ真鍋機関区の片隅で放置されているようでした。

キサハ41801

写真3はキサハ41800形キサハ41801、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。

1933年鉄道省が日本車輛で製造、キハ36900形キハ36917。
1933年キハ41000形キハ41017へ改番。
1950年国鉄小倉工場で日野自動車製DA55形エンジンに換装してディーゼル化改造しキハ41500形キハ41502へ改番。
1954年国鉄大宮工場でDMF13形エンジンに機関を換装し、キハ41300形キハ41322へ改番。
1957年車輛称号規定改正でキハ04形キハ04 23へ改番。
1963年関東鉄道常総線へ譲渡されキサハ41800形キサハ41801として就役。
1979年に廃車。この写真を撮影した頃は真鍋機関区の片隅で放置されていました。

キハ461

写真4はキハ460形キハ461、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。

1934年鉄道省は川崎車輛でキハ41000形キハ41056を製造。
1948年国鉄長野工場で天然ガス動車へ改造、キハ41200形キハ41207へ改番。
1952年国鉄長野工場でDMF13形ディーゼルエンジンへ換装、キハ41300形キハ41307へ改番。
1957年車輛称号規定改正でキハ04形キハ04 8。
1958年遠州鉄道へ譲渡されキハ800形キハ802として就役。
1966年北陸鉄道能登線へ譲渡されキハ5210形キハ5211として就役。
1972年北陸鉄道能登線の廃止に伴い関東鉄道筑波線へ譲渡されキハ460形キハ461として就役。
1979年関東鉄道筑波線は2代目筑波鉄道へ分離。
1985年に廃車。キハ461は除籍後も車庫で保管、廃線後は愛好家達によって整備され、つくば市桜交通公園で保存されていました。
2007年に原型を留めたままで現存する数少ないキハ41000形として、大宮の鉄道博物館に収蔵されることになり、東日本鉄道文化財団に寄贈されました。

キハ541

写真5はキハ540形キハ541、1975/6/6関東鉄道筑波線土浦駅。

1957年に北陸鉄道は能登線用客車としてコハフ5300形コハフ5301を日本車輛製造で新製しました。車体の前後に荷台を備えたバケットカーで、この時代の新造車としては珍しい例です。
1963年にDMH17CディーゼルエンジンとTC2形液体式変速機を搭載してキハ5300形キハ5301へ改造。
1972年の北陸鉄道能登線廃止に伴い関東鉄道筑波線に譲渡、キハ540形キハ541として就役。車体両端のバケットが特徴的でした。
1985年に廃車となりましたが、庫内で保管。
1987年筑波鉄道廃止の時に解体されました。


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