古い車輌の写真
関東鉄道筑波線 2 キハ500、キハ760、キハ810
キハ503
RP541 Web#=790 掲載2012/9/20写真1はキハ500形キハ503、1975/6/6関東鉄道筑波線土浦駅。 1959年常総筑波鉄道は筑波線用として日本車輌製造東京支店でキハ500形キハ501〜505の5輌を製造しました。両運転台2扉セミクロスシート、全長18.1m、自重27.6t、出力180PSのDMH17H形エンジンを搭載、定員120名。 1963年キハ501と502が常総線に転属。 1965年関東鉄道が発足。 1979年関東鉄道から筑波鉄道が分離。
キハ505

写真2はキハ504形キハ505、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。 1959年新造されたキハ500形5輌が入線直後、空気ばね台車を装備していたキハ501と502はキハ504と505に、金属ばね台車のキハ504と505はキハ501と502に改番されました。 1987年筑波線が廃止、キハ503〜505が常総線水海道機関区に移動しましたが、状態が悪くてそのまま廃車。
キハ761

写真3はキハ760形キハ761、1975/6/6関東鉄道筑波線土浦駅。 1957年雄別鉄道は新潟鉄工所でキハ49200形キハ49200Y1〜キハ49200Y3の3輌を製造しました。番号は同形の国鉄のキハ492000型(後のキハ21形)に因んだもの。全長20.0m、自重32.0t、定員120名、両運転台、出力180PSのDMH17BX形エンジンを1台搭載、液体式、台車はバーフレームTR-29相当の新潟鐵工所NH38。
キハ762

写真4はキハ760形キハ762、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。 1957年雄別鉄道は新潟鉄工所でキハ49200形キハ49200Y1〜キハ49200Y3の3輌を製造しました。1970年雄別三山(雄別炭鉱、尺別炭鉱、上茶路炭鉱)の企業ぐるみの閉山に伴い関東鉄道筑波線に3輌共譲渡。 1987年筑波鉄道筑波線廃止に伴い廃車。
キハ811

写真5はキハ810形キハ811、1975/6/6関東鉄道筑波線土浦駅。 1962年雄別鉄道は新潟鉄工所でキハ100形キハ104と105の2輌を製造しました。全長20.0m、自重31.0t、出力180PSのDMH17BX形エンジンを1台搭載、液体式、定員120名、台車はDT22相当。 1970年雄別三山の閉山に伴い関東鉄道筑波線に2輌共譲渡、キハ810形811と812となりました。 1987年キハ811は筑波鉄道筑波線廃止に伴い廃車。
キハ812

写真6はキハ810形キハ812、1975/6/6関東鉄道筑波線真鍋機関区。 1986年元雄別鉄道キハ105のキハ812は筑波線廃止直前の事故で大破し、先に廃車となりました。
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