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RP549 Web#=798 掲載2013/1/24写真1は1形1、1976/3/7宝塚ファミリーランド電車館、後の「のりもの館」。 1911年箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が木造車1形1〜18を川崎造船所兵庫工場(現・川崎重工業)で製造しました。 1922年から2両編成での運転が開始され連結器の取付、運転台部分を延長平妻化のうえ貫通路設置。 1927年腰板等に鋼板を張る簡易半鋼製車体化改造。 1930年1〜6が客用扉にステップを取り付けて今津線に転属。 1944年1〜6が電装解除、運転台機器を撤去して付随車化。 1957年阪急創業50周年を記念して開催された「交通文化博」の展示品として簡易半鋼製化後の車体に復元、床下機器は手元にある部品を取り付けパンタグラフとトロリーポールを載せた形で展示されました。その後は宝塚ファミリーランドの「のりもの館(旧・電車館)」に保存されていましたが、現在は正雀工場で保管されています。
廃車体
写真2は1形の廃車体、1965/2/3阪急電鉄西宮車庫。 今津線で中間車として使われていた1形の廃車体と思われるものです。連結面両方に貫通扉が有ります。残念ながら番号が読めませんでした。このサイトを見ておられる方で旧番号を御存じの方、貴重な情報の提供をお願いします。
野上電鉄 23
写真3はモハ20形23、1971/10/24野上電鉄日方車庫。 1911年に箕面有馬電気軌道が汽車製造会社(現在の川崎重工業)で製造した木造車1形26が前身です。 1927年〜1928年に簡易半鋼体化、前面が改造され平妻化と貫通扉取付改造が実施され原型とは全く異なる形態になりました。 1952年までに1形は完全な半鋼製車体に改造。 1957年野上電鉄は1形26の車体を譲受け、中古台車と電装品を組み合わせて23となって就役しました。移籍当時はトロリーポール集電でしたが、後にZパンタグラフに取替られています。廃線になるまでこの車体で活躍しました。
写真4は明るい朱色とクリーム色の新塗装を纏ったモハ20形23、1977/11/20野上電鉄日方駅〜連絡口駅間。 同時に野上電鉄が譲受けた阪急電鉄1形3の車体は23と同様に中古台車と電装品を組み合わせてモハ20形24として就役しました。しかし1961年に阪神電鉄601形604の車体を譲受けて載替えられました。
お菓子の1形
写真5と6は阪急今津線宝塚南口駅の正面で長く営業している宝塚ホテルのロビーで見つけたお菓子の1形電車、2008/7/19の撮影です。 多分マジパン(生ア−モンドと砂糖を洋酒と練合わせた粘土状の菓子)で作られているものと思われます。台車とか幕板部分の飾り窓、ダブルルーフなど、なかなかリアルに作られています。金属製のトロリーポールが曲がってしまっているの残念。
きちんと作られたディスプレイ用の大型スケールモデルが宝塚ファミリーランド電車館に展示されていましたが、今はどうなっているのでしょうか。阪急の正雀工場の倉庫で眠っているのでしょうか?
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