古い車輌の写真

阪急電鉄 3 10、40

10

RP550 Web#=799 掲載2013/1/25

写真1は10形10、1965/1/17宝塚ファミリーランド電車館。

1925年新京阪鉄道が梅鉢鉄工所でP4形10を製造。
1928年1500Vの昇圧、パンタグラフ化されました。
1929年形式がデロ10形に変更、10は30に改番。
1948年貫通扉の設置。
その後宝塚ファミリーランドの電車館に保存、ヘッドライトは腰板に戻されトロリーポールに復元されています。現在は正雀工場で保存されています。

能勢電鉄 10

写真2は能勢電鉄10形10、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1925年新京阪鉄道が梅鉢鉄工所でP4形11を製造。
1929年形式がデロ10形に変更。
1957年能勢電気軌道へ譲渡、トロリーポール集電となった以外は殆ど原型のままで10形10として就役。全長12.7m、自重26.2t、出力59kwX2、定員90名、台車は弓型イコライザー式の住友KS-30L。
1966年からパンタグラフを使用。
1967年廃車。

能勢電鉄 11

写真3は能勢電鉄10形11、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1927年新京阪鉄道が田中車輛でP5形21を製造。
1957年能勢電気軌道へ譲渡、トロリーポール集電となった以外は殆ど原型のままで10形11として就役、上記の10とMc+Mcの2輌編成でした。
1967年廃車。

能勢電鉄 23

写真4は能勢電鉄20形23、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1929年新京阪鉄道が田中車輛でP5形19を製造。
1961年阪急電鉄より借入、20形23と改番。23はTcでMc車22と2輌編成で就役しました。この23は両端に貫通扉を持っています。
1966年320形の就役に伴い阪急電鉄へ返却、平野車庫で廃車解体となりました。

45

写真5と6は40形45、1965/2/1西宮北口車庫。

1923年藤永田造船所で40形40〜43、45の5輌が製造され、1922年に開通した阪急西宝線(現在の今津線西宮北口〜宝塚間)に就役しました。1931年42が嵐山線で事故廃車。
1936年頃から休日などに能勢電気軌道線に残っている40,41,43,45の4輌が貸し出されていました。その後パンタグラフを取外して長期借入となりました。1948年43が事故で解体、41の車体と阪急電鉄の貨物電車206の機器を組合わせて2代目43が就役。
1962年20形の入線に伴い残っていた43と45は阪急電鉄へ返却(下記のように抜け殻だけ)、45は阪急電鉄西宮車庫で放置されていましたが後に解体されました。

全長11.4m、自重15.8t、出力37kwX2、定員65名と小柄な電車でした。台車はブリル76E1を履いていましたが、阪急電鉄に返却する際に50形のブリル76E台車と交換しています。またモーターを50と51に提供。

この趣味を始めたばかりのサイト・オーナーにとって、トロリーポール、縦羽目で地味な阪急マルーン色木造車体、朱色の屋根の小柄な電車はとても魅力で何度も能勢電に通ったものした。

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