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古い車輌の写真
阪急電鉄 4 9091と850![]() 写真1は91と850、1965/1/17阪急電鉄西宮車庫。 私が鉄として身近な阪急電鉄を眺め始めたころ、二桁の番号を持つ電車は伊丹線で使われていた90形だけが残っていました。家の近くを走っていた今津線(西宮北口〜宝塚間で開通当時は西宝線)には阪急電鉄の多くの小型車(1、51、37、40、90、96、300、320、380、500)が足跡を残しています。その中でも90形は阪急電鉄の中でも複雑な経歴を持っていました。 90![]() 1913年鉄道院新橋工場で院電のボギー車としてナデ6110形ナデ6133〜6144の12輌が製造されました。その中のナデ6138がこの90の前身です。 1914年デハ6285形デハ6290へ改番。 1925年目黒蒲田電鉄へ譲渡されデハ47、実際は鉄道省大井工場で阪急入線に関する整備と両運転台化改造を受けて 阪神急行電鉄へ直接入線しています。 ![]() 1944年終戦直後の資材不足のために電装解除して90形90に改番。 1946年古い手持電装品を使用して電動車に復旧。 1953年二重屋根で窓配置も木造車体そのままで半鋼製車体に更新。90+91の2輌編成で伊丹線や甲陽線で使用。 1965年1500V昇圧工事対象外となり休車、神戸線園田駅側線に留置されていました。 1967年廃車解体。 91![]() 1913年鉄道院新橋工場で院電のボギー車としてナデ6110形12輌の中のナデ6137がこの91の前身です。 1914年デハ6285形デハ6289へ改番。 1925年目黒蒲田電鉄へ譲渡されデハ46、実際は鉄道省大井工場で阪急入線に関する整備と両運転台化改造を受けて 阪神急行電鉄へ直接入線しています。 ![]() 1944年終戦直後の資材不足のために電装解除して90形91に改番。 1946年古い手持電装品を使用して電動車に復旧。 1953年二重屋根で窓配置も木造車体そのままで半鋼製車体に更新。90+91の2輌編成で伊丹線や甲陽線で使用。 1965年1500V昇圧工事対象外となり休車、神戸線園田駅側線に留置。 1967年廃車解体。 92![]() 1913年鉄道院新橋工場で院電のボギー車としてナデ6110形12輌の中のナデ6133がこの92の前身です。 1914年デハ6285形デハ6285へ改番。 1925年目黒蒲田電鉄へ譲渡されデハ45、実際は90鉄道省大井工場で阪急入線に関する整備と両運転台化改造を受けて 阪神急行電鉄へ直接入線しています。 1926年阪神急行電鉄90形93として西宝線や伊丹線、上筒井線で就役。 1944年終戦直後の資材不足のために電装解除して90形92に改番。 1946年古い手持電装品を使用して電動車に復旧。 1953年800形で非貫通の2次車に良く似た半鋼製車体に更新、伊丹線や甲陽線で使用。 1965年1500V昇圧工事対象外となり休車、神戸線園田駅側線に留置。 1967年廃車解体。 前のページ 次のページ |