古い車輌の写真

阪急電鉄 5 90、96

95

RP552 Web#=801 掲載2013/1/27

写真1と2は90形95、1966/7/16神戸線園田駅側線。

1909年日本車輛製造で院電最初のボギー車として製造されたホデ1形10輌ホデ1〜10の中のホデ5がこの95の前身です。
1911年車輛称号規定によりホデ6100形ホデ6104へ改番。
1913年車輛称号規定改正によりナデ6100形ナデ6104へ改番。
1914年デハ6250形6254へ改番。

1926年目黒蒲田電鉄へ譲渡されデハ48、実際は鉄道省大井工場で阪急入線に関する整備と両運転台化改造を受けて 阪神急行電鉄へ直接入線。
1926年阪神急行電鉄90形90として西宝線や伊丹線、上筒井線で就役。
1944年終戦直後の資材不足のために電装解除して90形95に改番。
1945年から1947年まで、戦災で焼失した駅舎の代わりに側線に留置されていました。
1946年古い手持電装品を使用して電動車に復旧。
1955年ダブルルーフを残したまま半鋼製車体へ更新。
1965年1500V昇圧工事対象外となり休車、神戸線園田駅側線に留置。
1967年廃車解体。

96

写真3と4は96形96、伊丹線伊丹駅。

写真3は1963年頃の阪急伊丹線の終点伊丹駅です。現在の立派な高架駅とは違って田舎の終着駅でした。写真3のようにプラットホーム有効長が17mの96形2輌分しか在りませんでした。ブローニー判で撮影したので、写真4のように中央部分をトリミングすることができました。

1929年に加越鉄道(後に富山地方鉄道を経て加越能鉄道加越線、1972年廃止)は日本車両製造で17m級半鋼製ボギー客車ナハフ101と102を製造。鉄道省のオハ31形の設計を取入れていましたが丸屋根でした。

加越鉄道はガソリンカーを導入して運転合理化を進めた結果、蒸気機関車で牽引する客車は車齢が若いにも関わらず余剰車として留置されていました。

97

写真5と6は96形97、伊丹線伊丹駅。

1940年に2輌とも加越鉄道から小島栄次郎工業所(有名な車輛ブローカー)を通じて阪急電鉄へ譲渡され阪急西宮工場で電車として整備、96形96と97として就役しました。90形と同様に今津線や伊丹線で運用されていました。
1945年あまりに低出力だったために電装解除され、900形や650形の中間車として神戸線で活躍するようになりました。
1952年に再より強力な仕様で度電装され96+97のMc+Tc編成を組み伊丹線で活躍しました。
1965年1500V昇圧工事対象外となり休車、神戸線園田駅側線に留置。
1967年廃車解体。

1937年に日中戦争が始まり物資不足と経済統制の為に阪急電鉄のような大手私鉄でも車輛増備は困難になって来ました。その為に今では考えられないことですが支線区用の増備車輛は新車でなくて、地方私鉄の中古客車改造でも仕方が無かったのでしょう。

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