104
RP553 Web#=802 掲載2013/1/30写真1は100形104、1970/3/25阪急電鉄京都線正雀駅。 1927年新京阪鉄道はP-6形のMcを101〜120、Tcを501〜510の計30輌製造しました。その内101〜110が名古屋の日本車輌製造本店で作られました。名古屋までの長距離運行(名古屋急行電鉄の計画)を前提に設計していたために、かなりオーバースペックでした。
110
写真2は100形110、1970/5/30阪急電鉄京都線桂駅。 19mの車体は全鋼製でMcもTcも両運転台、Mcの公称重量は41.7tでしたが実際は52tもありました。モーターは当時100Kwが普通の時代に、150Kwという大出力の物を装備していました。 1929年P-6系のMcにはデイ形という形式称号が与えられました。 1943年京阪電鉄と阪神急行電鉄との合併で京阪神急行電鉄となり、形式称号がデイ100形となりました。
写真3は100形110、1970/3/25阪急電鉄京都線正雀工場。 1949年京阪神急行電鉄から京阪本線系統が京阪電気鉄道として分離され、旧新京阪線は阪急京都線として残りました。ATSを装備する際に104や110は改造費用節減のため片運転台化されました。 1971年に110が廃車解体。 1972年に104が廃車解体。
112
写真4は100形112、1970/3/25阪急電鉄京都線正雀工場。 1927年に30輌作られたP-6形の内、111〜120は汽車製造東京支店で作られました。
写真5は100形112、1970/5/30阪急電鉄京都線正雀工場。 ATSを装備する際に改造費用節減のため両運転台車の片運転台化や、中間電動車、付随車化工事が施行されました。この112や118は原型の両運転台のままでした。
118
写真6は100形118、1970/5/30阪急電鉄京都線桂駅。 1971年に112、118が共に廃車解体。
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