古い車輌の写真

阪急電鉄 9 200、250

201

RP556 Web#=805 掲載2013/2/2

写真1は200形201、1969/10/27阪急電鉄嵐山線桂駅。

1936年京阪電気鉄道千里山線(現在の阪急電鉄千里線)の千里山駅構内で10形の25と50形55号が火災焼失しました。
1937年その補充として田中車輌(現在の近畿車輛)で、201と601の2両編成1本が製造されました。

写真2は200形201、1970/5/30阪急電鉄嵐山線桂駅。

1943年に京阪電気鉄道と阪神急行電鉄が戦時合併。
1949年に京阪と阪急に再分割された際に元の新京阪線(現在の阪急京都本線)とその支線(千里山線、嵐山線)は阪急側に移管されました。200形201と600形601は路線ごと阪急に残りました。
1956年600形601は、神戸宝塚線用の600形と重複するため250形251に改番されました。

251

写真3と4は250形251、1969/10/27阪急電鉄嵐山線桂駅。

この形式は2両編成1本だけが在籍する低出力小型車で、他の形式と連結して運用することができなかったために、晩年は短い嵐山線で島流し状態でした。
1970年にさよなら運転を行って廃車解体されました。

200形はたった2輌だけだったためか、いろいろな試作的要素が見られました。車体は長さ15m程の小型でしたが、リベットが見当たらないノーシル・ノーヘッダーの滑らかな溶接車体を持っていました。ヘッドライトは埋込型、大きな2段式の窓、半室式運転台で見通しは良く鉄道ファンは喜んだことでしょう。電車としての性能は低いものでしたが、豪華なソファーのようなロングシート、シャンデリアのような室内灯、市松模様の床板とかなり贅沢な装備でした。

写真5は250形251、1970/5/30阪急電鉄嵐山線桂駅。

就役当初の201は10形が履いていたイコライザー式ブリル27MCB-1台車、601(251)はM-12(601)を履いていました。戦後201は写真1〜2のように汽車製造製のウイングばね式台車KS-1-Aに交換されています。

大した速度も出ていないこの時代の鉄道車輛に、ヨーロッパやアメリカの急行列車用も含めて流線形車体は全く意味が有りません。意味のある流線形は最近の新幹線車輛の先頭車のように長くて美しくないラインになってしまいます。

京阪電鉄石坂線63

写真6は京阪電鉄60形63、1977/4/18京津線四宮車庫。

この200形は当時流行っていた流線形、中でも京阪電鉄が京津線用として1934年に日本車輌製造本店で製造した「びわこ号」60形(2車体連接車)の影響があったのではないでしょうか。またびわこ号は、縁の深かった江若鉄道が1935年に製造したガソリンカーC9形キニ9、11〜13のデザインにも大きな影響を与えています。

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