古い車輌の写真

阪急電鉄 13 320、380

328

RP560 Web#=809 掲載2013/2/6

写真1は320形328、1965/2/1阪急電鉄西宮車庫。

1935年阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)は川崎車輛で320形を320〜331の12輌製造しました。当時神戸線に就役して阪急スタイルを確立した900形を宝塚線に合わせて小型化したデザインでした。こののちに増備された380形や片運転台の500形も同じデザイン・コンセプトを引き継いでいました。全鋼製で両運転台、車体長が約15m、台車はボールドウィンBW-78-25AAのデッドコピー品である川崎車輌製K-12を履いていました。

写真2は320形328、1966/3/27能勢電鉄平野車庫。

1952年に全車今津線に転属、このときにドア部分にステップが取り付けられ、全幅が2.35mから2.69mになりました。
1956年頃から宝塚線に復帰しました。
1963年までに再度全車が今津線、伊丹線、甲陽線に運用されるようになりました。1960年代後半に予定されていた架線電圧1500V昇圧工事の対象とはなりませんでした。

326

写真3は320形326、1965/4/1能勢電気軌道平野車庫。

1965年に12輌全てが能勢電気軌道に貸し出されましたが、施設改良が間に合わなかったために、建設中の平野車庫側線に留置されていました。
1966年から能勢電気軌道で当初は2連で運用されていました。
1968年から人口が急増した為に、後から入線した阪急500形と3輌編成で活躍しました。
1973年に借り入れていた320形は正式に譲渡され能勢電気軌道の車籍を得ましたが、改番は行われませんでした。
1986年までに全車が廃車となり328以外は解体。
1992年平野車庫で保存されていた328も解体されました。

384

写真4は380形382、1963年頃阪急電鉄今津線仁川〜甲東園間。

1936年阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)は川崎車輛で380形を380〜385の6輌製造しました。デザインは前年の320形を継承していましたが、性能的には別物でした。ウインドシルが平帯になり溶接構造でリベットが全く無くなったのが特徴です。
1955年に610系に機器を提供して電装解除され中間車として運用されていました。
1957年に300形300〜315の機器を流用して再度電装。6輌しかいなかったので主に増結用として運用されていました。

383

写真5は380形383、1966/3/22能勢電鉄平野車庫。

1967年に休車状態のまま能勢電気軌道平野車庫に搬入されて構内に留置されていました。
1975年に383だけが阪急電鉄から能勢電鉄へ譲渡され再起しました。残りは野天で長期保管された結果、状態が悪化していて阪急電鉄在籍のまま廃車解体となってしまいました。

384

写真6は380形382、1966/3/27年頃阪急電鉄今津線仁川駅北方。

写真6はサイト・オーナーが鉄道ファン時代に一番お世話になった今津線時代の380形です。1輌でも走れる両運転台の小型車が好みだったのは、この320形や380形の刷り込みが有ったせいでしょう。あまりに身近な存在だったために阪急時代にスナップ的撮影しかしていなかったのは悔やまれます。

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