古い車輌の写真

阪急電鉄 14 500、550

502

RP561 Web#=810 掲載2013/2/18

写真1は500形502、1967/4/16阪急電鉄今津線宝塚駅南方。

1938年阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)は宝塚線用380型の増備車として500形500〜511の12両を川崎車輛で製造しました。1940年には512〜521、1943年には522〜530と合計31輌が作られました。線路規格の低い宝塚線で使用するために、Mc+Tcではなくてモーターを2輌に分けて搭載したMc+Mcでした。小型車で重量は20.4tと軽量、920形の小型車版できれいにまとまった良いデザインという印象が残っています。

能勢電鉄 529

写真2は500形529、1966/3/27能勢電鉄平野駅。

1953年から1956年にかけて51形が610系へ鋼体化改造を受ける際に複雑な機器や台車の振替が行われました。
1960年以降に宝塚線から今津線へ転属、今津方から320や380が2輌+500+300+500の5輌編成で活躍しました。
サイト・オーナーが鉄に目覚めたのはこの頃で、通学路が今津線を横切っていたので毎日のように眺めていました。食傷気味だったのでマトモな形式写真は撮らずしまいだったのは残念です。

広島電鉄 1078

写真3はモハ1070形1078と1074、1972/5/1広島電鉄宮島線荒手車庫。

1967年に500〜505と508、509の8輌が広島電鉄の宮島線へ譲渡されました。この時に扉の位置を変更するという大掛かりな改造を受けています。
1988年までに広島市内線から宮島線へ直通運転が行われるようになり、廃車となりました。
クリーム色と朱色の車体で窓の下に細いマルーンのラインという、やや暑苦しい塗装で頑張っていました。

565

写真4と5は550形565、1967/4/16阪急電鉄西宮車庫。

1948年京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)は運輸省規格型車体B形の設計で550形550〜564の15輌をナニワ工機で製造しました。当時は敗戦後の混乱期で阪急独自の設計という贅沢は許されず、63系の割当か運輸省規格型しか選択の余地が有りませんでした。
1951年に同じ550形の増備として565がナニワ工機で製造されました。この頃になると設計上の制約が無くなり、阪急スタイルの550形が製造できるようになりました。

製造当時は宝塚線の橋梁の強度に問題が有り、Mc車の台車にはモーターが2台だけしか搭載できずMc+Mcで2輌1編成となっていました。
1954年に宝塚線の線路規格が改善され、モーター4台搭載のMc+Tcとなりました。
1969年に廃車、戦後の混乱期に作られた電車で傷みがひどかったために他社へ譲渡はされませんでした。

武庫川橋梁

阪急神戸線武庫川橋梁で撮影をしていたら、550形2連の回送列車が通過しました。

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