古い車輌の写真

阪急電鉄 35 4200

4201

RP582 Web#=831 掲載2013/7/25

写真1は4200形4201、宝塚線池田車庫。

1910年箕面有馬電気軌道(現在の阪急箕面線)開業に当たり1形1〜18を川崎造船所兵庫工場(現在の川崎重工業)で製造しました。
1951年に1形の9を電動貨車に改造しました。車体は1形の車体デザインを留めて(ダブルルーフに注目)おり、当初は宝塚線の荷物列車に使用されていました。
1954年の荷物営業廃止後、池田車庫の救援車201となりました。
1956年に3201へ改番。
1964年に4201へ改番。
1969年の宝塚線昇圧の際には昇圧対象にならず廃車。4208に置き換えられました。

4202

写真2は4200形4202、宝塚線池田車庫。

1927年にレールや電柱などの長物を輸送するために電動貨車202が作られました。当初は車体両端に組まれたやぐらの上に小さな運転台が置かれるという異様なデザインでしたが、後に写真2のように改造されました。前から見ると極めて狭い運転台であり酷い作業空間だったことでしょう。
1956年に3202へ改番。その後保線工事用に転用されて作業員待機室が運転台の後ろに増設されました。増設された長い作業員待機室は運転台と同じ幅だったため、斜め前から眺めると非常に印象深いスタイルになっていました。
1964年に4202へ改番。
1967年に1500Vに昇圧工事。
1977年に廃車されました。

4203

写真3は4200形4203、神戸線西宮北口車庫。

1911年箕面有馬電気軌道は1形の増備車として19〜33を川崎造船所兵庫工場で製造しました。
1927年に33は試験的に鋼体化及び丸屋根化改造、他の1形とは車体形状が違っていました。電動貨車への改造後も、その特徴を保っていた。
1951年に33を電動貨車203に改造、車体は33の独特の鋼体化された車体デザインを留めておりました。当初は神戸線の荷物列車用として運用。
1954年の荷物営業廃止後、西宮車庫の救援車203となりました。
1956年に3203へ改番。
1964年に4203へ改番。
1967年に1500Vへ昇圧。
1982年に4050形に置き換えれられて廃車。最後まで現役で生き残った1形で、製造以来71年もの長きにわたって在籍していました。

4207

写真4は4200形4207、神戸線西宮北口車庫。

1949年に阪急は戦災や事故によって廃車された車両の主台枠等を流用して3輌207、209、210の保線工事用貨物電車を製造しました。
1956年に3207、3209、3210に改番。
1964年に4207、4209、4210に改番。
大きな改造も無く使用され、晩年は4207が正雀車庫、4209が平井車庫、4210が西宮車庫に配置されていました。
1977〜1980年に保線工事がトラックを使うようになって廃車されました。

貨物電車というものはなかなか本線で稼働している所を見るのが困難で、車庫の一番奥にある側線に待機しているのを遠くから眺めるだけでした。貨物や荷物の輸送はとっくの昔にトラックとの競争に敗退。社内用資材の輸送や保線工事でもトラック輸送の方が便利になったようで、このような貨物電車は絶滅危惧種になってしまったのは残念です。阪急でも事業用の貨物電車で生き残っているのはTcの救援車4050形4輌だけになりました。

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