古い車輌の写真

阪急電鉄 37 4500

4501

RP584 Web#=833 掲載2013/7/27

写真1は4500形4501、1970/3/25京都線正雀工場。

1928年に新京阪鉄道は手荷物合造車8を製造しました。生鮮食料品を輸送するために車体中央部にヨロイ戸式の通風孔を持つ荷物室が設けられていました。荷物室の両側に客室があり、主として早朝に市場へ生鮮食料品を仕入れに行く乗客向けに運用されていました。車体は緑色に塗装されていたようです。
1929年に5001へ改番。戦後は救援車に転用、正雀車庫に配置されていました。
1950年に車体塗装がグレーになりました。
1955年に車体塗装が黒になりました。
1964年に4501へ改番。
1982年4050形に置き換えられ廃車となりました。

廃車体

写真2は木造有蓋貨物電車の廃車体、1965/2/1神戸線西宮北口車庫。

西宮北口車庫に置いてあったの廃車体です。関係の有った箕面有馬電気軌道、新京阪鉄道、阪急電鉄で運用されていた有蓋貨物電車で早期に廃車となったのは107、200、203〜205、206の6輌でした。この中で1940年に写真2のように柱が外側になるように改造されたのは203〜205でした。203は1945年戦災で廃車となり、204が神戸線の救援車で1954年廃車、205が宝塚線の救援車で1949年に廃車となりました。写真2は204か205のどちらかと推定されます。

能勢電鉄絹延橋車庫に有った廃車体?06

写真3は有蓋貨物電車の廃車体X06、能勢電鉄絹延橋車庫。

1920年に阪急が神戸線用の有蓋電動貨車として206を製造しました。
1949年に205の後を継いで宝塚線の救援車となりました。
1954年に廃車されました。

写真3は能勢電鉄の絹延橋車庫で倉庫となっていた?06(206?)という番号を持つ廃車体です。

廃車体

写真4は有蓋貨物電車の廃車体、1965/2/1神戸線西宮北口車庫。

1914年に箕面有馬電気軌道は103〜105の3輌の有蓋電動貨車を作りました。
1927年に103はモーター等と有蓋の車体を取外して無蓋貨車、1947年に廃車となりました。
1931年に104と105は運転台を撤去し無番号の救援車(単なる有蓋貨車)となり、1940年に廃車されました。
写真4のベスティビュールの無い車体は、この104か105と推定出来ます。