古い車輌の写真

無蓋車 1 ト

別府鉄道ト4

RJ183 Web#=837 掲載2013/8/16

写真1は別府鉄道ト1形ト4、1969/9/8別府鉄道別府港機関区。

元鉄道省の初代ト1形ト2353で1929年に別府鉄道へ払下げられト1形ト4となりました。古い無蓋車の妻板は山形ではなくて写真のようなフラットなものが殆どでした。初代ト1形はト1〜9、11〜2969、15000〜16362、16400〜17046(欠番99輌分、2車現存2件)の4877輌が在籍し、その出自もいろいろな形式からの改番、有蓋車からの改造、日本鉄道、関西鉄道、九州鉄道、阪鶴鉄道等の私鉄からの買収車など様々でした。またこの他に戦時買収となった芸備鉄道からの引継車で正式の形式が与えられなかった全く異なる設計のト1形ト1〜10が紛れ込んでいました。

伊豆箱根鉄道大雄山線ト5

写真2は伊豆箱根鉄道大雄山線ト1形ト5、1963/4/1大雄山線大雄山車庫。

1898年駿豆鉄道(伊豆箱根鉄道の前身)は東京車両で10t積無蓋車「ち1〜8」を製造。後に「ち5」はト1形ト5に改番。
これも妻板がフラットな古いタイプの無蓋車で、車輪は古い様式の松葉スポーク、当然バッファー撤去後の穴が台枠端面に残されていました。番号の下に白線が2本引かれていますが、これは国鉄に乗入可能を表示してます。ただしヨンサントウ(昭和430年10月の大規模なダイヤ改正)で、このような古いシュー式の足回りを持つ低速貨車は全て国鉄線から締め出されてしまいました。

東武鉄道ト773

写真3は東武鉄道ト771形ト773、1963/3/31館林機関区。

12t積とやや大型の無蓋車で、東武の右側に標記されている+マークは、ブレーキシリンダを持っていないことを表示しています。このトはやや新しいもの(バッファー撤去後の穴が無い)のようで、山形の妻板となっています。

このような小型木造のトは国鉄私鉄をつうじて標準的な設計で、あまり特徴が見られないものでした。サイト・オーナーが写真を撮っていたのは小型トの廃車寸前の頃で、貨物営業用ではなくて保線用として砕石や川砂利を積み込んで側線に待機していた状態が殆どでした。

貝島炭鉱ト3

写真4は貝島炭鉱ト3、1972/5/6二坑機関区。

この貝島炭鉱のケースでは営業用として使われていなかったようで、珍しく初期の鋼製無蓋車がこの年代まで生き延びていました。

富山地方鉄道ト24

写真5は富山地方鉄道ト24形ト24、1973/6/2稲荷町車庫。

昭和初期の不況に伴い小口輸送が多くなったので鉄道省は鋼製小型無蓋車ト20000形を7380輌作りました。木造無蓋車と比べて鋼製無蓋車は長持ちしそうですが、堅いバラ積み貨物で一度破損させてしまうと修理は大変で現場からは嫌われていたようです。釘で転動防止ができないので荷主からも嫌われていました。この富山地方鉄道のケースではあまり出番のない保線用だったので、長く鋼製のままで使われていました。

西濃鉄道ト151

写真6は西濃鉄道ト150形ト151、1966/12/26美濃赤坂車庫。

大量に作られた鋼製無蓋車ト20000形は不評のために6948輌が木造車へ改造され2代目ト1形に改番されました。新ト1形の妻板は新しい無蓋車の設計に従い山形になっていました。
このト151は元国鉄のト1形ト5172です。

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