クモハ12001
RJ191 Web#=857 掲載2013/11/6写真1〜3はクモハ12形クモハ12001、1972/5/25大糸線松本駅。 1933年にモハ34形はモハ34001〜34008が汽車製造東京支店、モハ34009〜34018が日本車輌製造東京支店、モハ34019〜34026が新潟鐵工所で製造され、モハ34001〜34015が中央線、モハ34016〜34022が赤羽線、モハ34023〜34026が横浜線で就役しました。

20mの車体を持つモハ40系が製造されている時代ですが、山手線などでホーム有効長の関係で17mのモハ33が2輌とモハ34が26輌が作られました。増備車はなくて、すぐに20mの車輛が関東地区にも投入されるようになりました。 1953年車輛称号規定改正に伴いモハ34005はモハ12001に改番。 1959年形式称号規定改正に伴いモハ12001はクモハ12001に改番。 1966年長野工場で霜取用パンタグラフを設置。

1982年静ヌマ(沼津電車区)で廃車。晩年は沼津で牽引車代用として大船工場入出場車のエスコートや入換用に使用されていました。1982年に網干からやってきたクモヤ90052に置き換えられました。
クモハ54005

写真4はクモハ54形クモハ54005、1972/5/25大糸線松本駅。 1937年〜1941年にモハ54形がモハ54001〜54009の9輌が作られました。 1940年に写真4のモハ54005は日本車輛で作られました。まだ戦争の影響が少なく、ノーシル、ノーヘッダー、ノーリベットの平滑な車体で竣工しましたが、1941年は1936年製と同じ仕様に戻ってしまいました。 1959年車輛称号規定改正によりモハ54005からクモハ54005へ改番。 1981年長キマ(北松本)で廃車。
クモユニ81003

写真5はクモユニ81形クモユニ81003、1972/5/25大糸線松本駅。 1950年国鉄大井工場でモユニ81形がモユニ81001〜8106の6輌が新造。東海道本線東京口で16輌編成の湘南電車として就役、浜松方の先頭に立って活躍していました。 1959年車輛称号規定改正によりモユニ81003からクモユニ81003へ改番。 1970年クモユニ81003は松本運転所北松本支所に転属。写真5で見られるように青22号一色塗装で「青坊主」と呼ばれていました。 1981年松本運転所北松本支所で廃車。
クモハ40050

写真6はクモハ40形クモハ40050、1971/1/15美濃赤坂線大垣駅。 同じころに作られ晩年は美濃赤坂線で運用されていたクモハ40形を紹介しましょう。 1932年〜1936年にかけて両運転台のモハ40形40001〜40080が製造されました。 モハ40形はいろいろな改造を受けて他形式へ改番されたものも多かったのですが、写真6のクモハ40050は改番される様な改造を受けませんでした。 1959年車輛称号規定改正によりモハ40050からクモハ40050へ改番。 1982年名カキ(大垣電車区)で廃車。
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