クモニ13001
RJ194 Web#=860 掲載2013/11/14写真1はクモニ13形クモニ13001、1975/3/29近江鉄道彦根車庫。 1924年鉄道省は日本車輛で木造3扉のデハ63100形デハ63105を製造しました。デハ63100形は1924〜1926年に123輌製造、1926〜1927年にデハ43200型より72輌が改造編入され195輌の大所帯でした。 1928年車両称号規定改正に伴いデハ63105はモハ10005と改番。 1934年吹田工場で両運転台木造荷物電車に改造されモニ13形モニ13020と改番。 1937年宮原電車区で焼失したモニ13020は、新造した鋼製車体に載せ替えてモニ53形モニ53001と改番。 1953年車両称号規定改正に伴いモニ13形モニ13001と改番。 1959年車両称号規定改正に伴いクモニ13形クモニ13001と改番。 1972年大タツ(大阪鉄道管理局高槻電車区)で廃車。 写真1は廃車後近江鉄道に運ばれ、彦根車庫で長期保管されている時です。まだ使える部品を剥ぎ取ってから解体されました。
クモニ13009

写真2〜3はクモニ13形クモニ13009、1970/3/2東海道線大阪駅。 1933年鉄道省は日本車輛で半鋼製両運転台ロングシートのモハ34形モハ34011を製造しました。 1948年半鋼製荷物電車に改造されモニ53形モニ53009と改番。 1953年車両称号規定改正に伴いモニ13形モニ13009と改番。 1959年車両称号規定改正に伴いクモニ13形クモニ13009と改番。 1979年大タツ(大阪鉄道管理局高槻電車区)で廃車。

この頃の荷物電車は長距離の手荷物輸送ではなくて、売店などで販売する新聞の輸送が主な仕事でした。その他に国鉄の駅から電車区や工場までの職員輸送、電車区や工場等の構内牽引車、中間車を回送する際に前後に連結して運転台、マヤ検列車の牽引など、いろいろな雑用をこなしていました。
クモニ13023

写真4はクモニ13形クモニ13023、1973/10/6東海道線大阪駅。 1952年吹田工場で木造車の台枠等を使って半鋼製両運転台のクモニ53形クモニ53023が作られました。 1953年形式称号規程改正に伴いモニ13形モニ13023へ改番。 1959年形式称号規程改正に伴いクモニ13形クモニ13023へ改番。 撮影した時はご覧のようにクモニ13023+マヤ34+クル23003でマヤ検列車を組成していました。
クモニ83016

写真5はクモニ83形クモニ83016、1973/4/17東海道線大阪駅。 1945年川崎車輛でモハ63形モハ63122として竣工。 1951年に発生した桜木町事故により1951〜1954年に体質改善工事が行われモハ72形モハ72144と改番。 1967〜1975年の間に鷹取工場で荷物電車に改造されクモニ83形クモニ83016。
近鉄 モニ5106

写真6は近鉄モニ5101形モニ5106、1971/1/15近鉄養老線西大垣検車区。 宅急便が発達した最近では考えられないことですが、当時は郵便小包と並んで鉄道が小荷物の輸送(所謂チッキ)を担っていました。私鉄にとっては扱い量が僅かなのに専用車が必要で人件費もかかり、営業面では邪魔な事業だったと思います。私鉄では写真6のように荷物室を持った古い電車を充当することが多かったようですが、その荷物室も実態はラッシュ時の立席と化していたようです。
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