古い車輌の写真

旧型国電 救援車

クエ9111

RJ195 Web#=861 掲載2013/11/15

写真1と2はクエ9110形クエ9111、1963年頃、国鉄吹田工場。

1921年鉄道省は日本車両東京支店でデハ23500形デハ23500〜23511の12両を製造しました。写真1と2の前身はこの中のデハ23509です。

中央線山手線用で就役した木造通勤電車で600V対応の50PSのモーターを装備していました。デッキの無い3扉車で、高加速高減速の運転を続けたために車体の緩みが酷くなり、早期に鋼体化改造されてしまいました。

1926年デハ23509は50PSのモーター使用停止となり、電装を解かれてクハ23500形クハ23505に改番。
1928年車両形式称号規程改正に伴いクハ15形クハ15041へ改番。
1953年車両形式称号規程改正に伴いクエ9110形クエ9111へ改番。実態は既に旅客営業から離れ救援車として待機状態でした。
1963年大ミハ(大阪鉄道管理局宮原電車区)で廃車。

これを見た時同行していたファンたちは「あぁっ・・・木造国電や!」と驚きの声を上げたものでした。

クエ9424

写真3と4はクエ9420形クエ9124、国鉄網干電車区。

1937年南武鉄道(現在に国鉄南武線)は帝国車輛工業でモハ150形151〜160の10両を製造しました。両運転台3扉半鋼製車体で全長17.0m、自重32.0t、出力93kwX4=372kw、定員120名、台車はUD-18。
1944年戦時買収で国有化され、国鉄南武線となる。電車はそのままの番号で運用。写真のクエ9424の前身は、その中のモハ156です。

1953年車両形式称号規程改正に伴いモハ156は社形の形式を貰いモハ2000形モハ2004と改番。
1960年救援車に改造されクエ9420形クエ9424と改番。パンタグラフは車内に設置されたクレーンや空気圧縮機を動かす為に残されていました。
1984年大ホシ(大阪鉄道管理局網干電車区)で廃車。

重々しい国鉄の旧型国電とは違って、軽快で明るい印象を与える電車でした。