古い車輌の写真

旧型国電 牽引車

クモヤ22117

RJ196 Web#=862 掲載2013/11/16

写真1はクモヤ22形クモヤ22117、国鉄吹田電車区。

1926〜1928年に鉄道省は木造で車体長17mロングシートのデハ73200形(後のモハ30形)を205輌、サハ73500形(サハ36形)を45輌、サロ73100形(サロ35形)を8輌の合計258輌を製造して京浜線、山手線、中央線に投入しました。
1926年に作られたデハ73200形デハ73226が写真1のクモヤ22117の前身です。
1928年車両形式称号規程改正に伴いモハ30形モハ30128と改番。
1951〜1953年に大井工場で鋼体化改造と運転台撤去を受けモハ10形モハ10010と改番。
1966年運転台を両端に設け新性能電車の制御もできるように浜松工場で改造され牽引車クモヤ22形クモヤ22117と改番、高槻電車区に配属。
1980年大タツ(大阪鉄道管理局高槻電車区)で廃車。

クモヤ22152

写真2と3はクモヤ22形クモヤ22152、国鉄吹田電車区。

1923〜1925年に鉄道省は関東大震災後の輸送力増強用として木造で車体長17mロングシートのデハ63100形(後のモハ10形)を123輌、サハ33550形(サハ26形)を140輌の合計263輌を製造して京浜線に投入しました。
1925年に汽車会社東京支店で作られたデハ63100形デハ63135が写真2と3のクモヤ22152の前身です。

1928年車両形式称号規程改正に伴いモハ10形モハ10035と改番。
1939年に大井工場で鋼体化改造を受けモハ50形モハ50088と改番。
1953年車両形式称号規程改正に伴いモハ11形モハ11468へ改番。
1959年車両形式称号規程改正に伴いクモハ11形クモハ11468へ改番。
1963年吹田工場で両運転台に改造し、妻面はどちら側も非貫通3連窓Hゴム支持となりました。牽引車クモヤ22形クモヤ22152と改番、高槻電車区に配属。
1981年大タツ(大阪鉄道管理局高槻電車区)で廃車。

クモヤ91001

写真4はクモヤ91形クモヤ91001、1970/3/26東海道本線大阪駅。

1944〜1950年に戦後の輸送復興用として粗悪な63系電車が私鉄向けも含めて945輌も作られました。
1947年汽車製造東京支店で作られたモハ63形モハ63643が写真4のクモヤ91001の前身です。
1951〜1954年にかけて桜木町事件対策として体質改善改造が行われました。モハ63643は大井工場で施行され運転台が撤去されモハ72形モハ72238と改番。
1968年牽引車に改造され、クモヤ91形クモヤ91001と改番。直流区間ではクモヤ、交流区間ではクヤとして運転台の無い中間モハや動力を持たないクハやサハの先頭に立って回送運転に活躍していました。車輛工場では機関車代わりに入換作業をこなしていました。
1987年に発足したJR西日本に継承。
1999年廃車。

クモヤ91002

写真5はクモヤ91形クモヤ91002、1970/7/28東海道本線大阪駅。

1947年川崎車輛で作られたモハ63形モハ63658が写真5のクモヤ91002の前身です。
1951〜1954年に汽車製造東京支店で施行された体質改善改造でモハ63658は運転台が撤去されモハ72形モハ72269と改番。
1968年牽引車に改造され、クモヤ91形クモヤ91002と改番。
1987年に発足したJR西日本に継承。
1999年廃車。

クモハ20103

写真6はクモハ20形クモハ20103、1970/3/26国鉄鷹取工場。

廃車となったクモハ20103は暫くの間、鷹取工場で車籍の無い構内入替車として使用されていましたが、数年後に解体されました。
元は1930年に阪和電鉄が川崎車輛兵庫工場で製造した優秀車で、全鋼製19mで48tもあるヘビー級の電車でした。

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