古い車輌の写真

福知山線のサバーバンタンク 1

C11280

RJ198 Web#=865 掲載2013/11/22

写真1はC11形C11280、1963年頃 吹田第一機関区。

1960年代に福知山線の大阪近郊区間で活躍していたサバーバンタンク機C11形は、吹田第一機関区をねぐらとしていました。
1932年から1947年にかけてC11は国鉄向けに381輌、私鉄専用線向けに20輌の合計401両も作られました。長さが12.7m、運転整備重量66.1t、定格出力610PSと、大都市近郊の区間旅客列車とか短い貨物列車に最適でした。写真1のC11280は戦時型で、ドームが角張っているのが特徴でした。

C11316

写真2と3はC11形C11316の牽引する列車、1963年頃 福知山線伊丹駅。

この写真は私が鉄に目覚めたごく初期のころの撮影で、カメラはアルファフレックスというブローニー判の二眼レフです。露出の決め方がよくわからなかったので、白く写ってしまったのをソフトで補正してみました。
その頃の福知山線は阪急電車と競争する気はさらさらなくて、写真のようにのんびりとした短い区間貨物列車が良く似合うローカル線の典型でした。このC11も戦時型でした。

このC11316のサイドタンクに注目してください。C11は70km/hを超えると動揺が激しくなるので、対策としてボイラーを跨ぐ形で両側のサイドタンクをアングルでつないで動揺を抑制するようにしていました。このC11316は珍しくこのブサイクな対策工事が行われていないし、醜いシールドビームに取り換えられていない原型に近いものでした。戦時型角ドームも機械としてのフォルムの魅力を増すものだったと思いますが・・・いかが?

C11363

写真4と5はC11形C11363の牽引する列車、1964年頃 福知山線宝塚駅。

現在の福知山線は複線電化で冷房の良く効いた明るい近郊用快速電車や通勤電車が、三田辺りのベッドタウンと大阪市街を結ぶとても忙しい路線に脱皮し、阪急宝塚線と熾烈な競争をしております。
この頃はまだ単線で、ローカル戦の象徴である腕木信号機が現役でした。

3〜4輌のオハ61系客車をC11が牽引する列車は、快速で走るはずのサバ―バンタンクが先頭でしたが速度はいたってのんびり。客車のデッキの扉を開けて、頬に当たる朝の風が楽しめる程度(ケムリと煤付でしたが)の速度で、菜の花の畑にC11とケムリのシルエットを映しながら、時折郷愁を誘う汽笛の長い音を響かせて走っていました。同じ所を同じ時期に207系で走ってみても同じ感慨は湧かないものですね。

C11271

写真6はC11形C11271、1964年頃 福知山線生瀬(ナマゼ)駅?。

友人と福知山線の撮影で出掛けた折、下車駅で撮影したC11、これから武庫川に沿って撮影ポイントを探しながら歩いていきます。

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