RJ201 Web#=868 掲載2013/11/27写真1は1963年頃 福知山線生瀬〜武田尾間のトンネル。 初期型のD51は重量が125.8tで最大軸重が15.0tもあり、亜幹線(当時の私の目には典型的な田舎のローカル線)の福知山線に運用するのは大丈夫だったのでしょうか。しかしD51形蒸気機関車は定格出力が1280psもあったので、非力な新鋭ディーゼル機関車DF50形の810psよりもはるかに頼りになったことでしょう。

写真2と3はD51形D5166、1963年頃 福知山線三田駅。 1937年川崎sh輌兵庫工場で製造、姫路機関区へ配属。 1945年福知山機関区へ転属。 1964年600リットルの重油タンク取付。 1972年吹田第一機関区で廃車。その後、京都府相楽郡精華町川西小学校で保存されています。

福知山線で運用されていたD51は吹田第一機関区に所属していたロコが多数を占めていました。吹田第一機関区には吹田操車場でハンプ押し上げ用として見通しを良くするためにデフレクターを取外したロコが在籍していましたが、写真5で見られるように間合い運用?として福知山線まで乗り入れている例も在りました。 初期のなめくじドーム、標準型、入換用のデフレクター撤去車、戦時型、集煙装置付きと福知山線のD51はいろいろな形態でファンを楽しませてくれました。
D51437

写真4はD51形D51437、1966/5/28吹田第一機関区。 このD51437は山陰線、福知山線経由で吹田操車場までやってきたのでしょうか。 1940年日本車輛名古屋で製造、弘前機関区に配属。 1960年浜田機関区へ転属。 1961年後藤工場で集煙装置の取付。 1972年浜田機関区で廃車。
D51319

写真5はD51形D51319、1966/3/7福知山線川西池田駅ヤード。 1939年日立製作所笠戸工場で製造、岡山機関区へ配属。 1962年吹田機関区へ転属、入換用としてデフレクター取外。 1969年デフレクターの復旧。 1971年吹田第一機関区で廃車。
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