古い車輌の写真

福知山線のDC

RJ203 Web#=870 掲載2013/11/29 .

写真1はキハ58系の急行列車、1965/4/1福知山線生瀬〜武田尾間。

私が鉄になった1965年頃、家から阪急電車で30分ほどの所に電化していない国鉄福知山線が在りました。蒸気機関車、ディーゼル機関車、ディーゼルカー、客車列車、貨物列車とローカル線愛好家向けセットが完備していました。

写真2と3はキハ10系主体の普通列車、1965/4/1福知山線生瀬〜武田尾間。

キハ10系とキハ20系(車体断面が少しだけ大きい)が混結された列車が、武庫川沿いの崖っぷちから姿を現したところです。トンネルが続く区間なのでヘッドライトが点けられたままになっています。

キハ10系は1953〜1957年に国鉄で728輌もの大量増備が行われ、日本中のローカル線で見られました。簡易なゴムブロックによる枕ばねを採用したDT-19形台車の乗り心地はあまり良くないものでしたが、蒸気機関車がトンネル内で吐き出す煤煙よりはマシということだったのでしょう。

写真4はキハ58系の急行列車、1965/4/1福知山線生瀬〜武田尾間。

福知山線を走った急行列車は、沢山の列車名が付けられていました。観光路線なので目的地に因んだ愛称が乱発された為でしょうか。
1960年運転開始の城崎(有名な温泉地)、丹波(旧国名)。1961年の特急まつかぜ、客車列車の三瓶(サンベ山に因む)と白兎(ハクト 因幡の白ウサギから)、1965年のはしだて(天橋立から)、1968年のだいせん(大山から)、やくも(出雲にかかる枕詞「八雲立つ」)。今では「こうのとり」という名前に統一されてしまったのは残念ですが、その前に在った「北近畿」と言う無味乾燥な列車名よりはマシでしょう。

写真5はキハ55系の急行列車、1965/4/1福知山線生瀬駅。

福知山線はローカル線、居住性の劣るキハ55系が急行列車の先頭車として現役でした。

写真6はキハ26形キハ26210、1975/12/4山陰本線舞鶴駅。

キハ55系は冷房化改造が行われなかったので急行運用はキハ58系冷房車に置き換えられてしまいました。写真6のようにヘッドライトが原型のキハ55系は優しい印象を与える、もっぱら福知山線のようなローカル線の普通列車として長く活躍しました。優れたデザインと思いますがいかがでしょうか?


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