古い車輌の写真

尾小屋鉄道 1

車庫でのスナップ

RP598 Web#=877 掲載2014/1/1

写真1は5号機又はC155、1977/3/20尾小屋鉄道新小松駅。

1880年加賀藩の家老であった横山家が銅山として、石川県小松市尾小屋町で尾小屋鉱山の試掘を開始。
1886年銅の新鉱脈が発見され銅山として繁栄。
1917年個人事業として鉱山鉄道を着工。
1920年横山鉱業部への譲渡が許可され、横山鉱業部鉄道。
1929年尾小屋鉄道株式会社へ事業譲渡。
1936年日本鉱業の系列会社となる。
1962年名古屋鉄道の系列会社となる。
1971年尾小屋鉱山閉山。
1977年鉄道線廃止に伴い、社名が小松バス株式会社となり現在も盛業中。

写真2は1973/6/2尾小屋鉄道新小松車庫。

新小松車庫の側線で留置中のDC122と客車。日中はキハの単行で運行されていたので、ディーゼル機関車の牽く列車は車庫で昼寝をしていました。

写真3と4は1973/6/2尾小屋鉄道新小松駅。

新小松駅を出発して行くキハ1803。周囲にレイアウトの添景として好ましい建築物がたくさんあったのですが、残念ながら当時は車輛にだけしか目が向いていていませんでした。

新小松駅を出るとすぐにロープが降りてくる踏切があり、キハ1803はその先の車庫をかすめて走って行きました。

写真5と6は車庫で休んでいるキハ1、1977/3/20尾小屋鉄道新小松車庫。

この頃の鉄道の車庫は半分以上がバスに占領されていました。

1971年尾小屋鉱山の閉山で尾小屋鉄道は貨物を失っていました。廃止間際では細々と地域の旅客輸送にたずさわっていただけで、在籍車両もほんの僅かと言う寂しい状況でした。本来は軽便鉄道の好ましい情景が見られた車庫のはずですが、ご覧のように数本の僅かな線路が残っているだけで、バスが我がもの顔に占領する広場になっていました。

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