古い車輌の写真

尾小屋鉄道 2 C155

C155又は2代目5

RP599 Web#=878 掲載2014/1/3

写真1〜6は車庫で休んでいるC155、1977/3/20尾小屋鉄道新小松駅側線。

尾小屋鉄道へは1973/6/2会社の慰安旅行で現地解散の後と、路線廃止の当日1977/3/20の2回訪問の機会がありました。1973年の時は蒸気機関車が別の駅の側線で留置されていて見ることができませんでした。

1973/3/20に廃止当日に新小松駅に到着すると、駅の側線の端っこに蒸気機関車が停められていました。状態はあまり良くなくて、錆や塗装の剥がれが目立ちました。しかし曇り空で逆光線がなく、広い構内、メインロッドが下がっているという理想的なポーズでした。

尾小屋鉄道の初代5号蒸気機関車は1943年(太平洋戦争の真っ最中)に日本鉱業千歳鉱山軌道から転用されたB型テンダー蒸気機関車でした。敗戦が近い混乱期で、運輸通信省への正式な申請や、両社の間の譲渡転籍の処理も行われなかった(同じ日本鉱業系列だったためか)ようです。当然車籍は無く現場では在籍していた3号蒸気機関車に続けて5(4は忌避番号)と呼ばれていました。5〜6t程度の大きさのB形サイドタンク付テンダー機関車という軽便鉄道ではとても珍しいもので、森林鉄道で採用されていたダイヤモンドスタックを装備していたようです。入線後は非力なためほとんど使用されず、戦後は新小松構内に放置された後、1948〜1949年頃に解体されました。

1949年に尾小屋鉄道は2代目5号蒸気機関車を立山重工業から購入しました。仕様は在籍していた1941年立山重工業製の3号機と殆ど同じです。銘板には1947年製造とあり立山重工業の標準型ストック品だったと思われ、地方鉄道向けとしては最後の軽便蒸気機関車です。

尾小屋鉄道の山間部は豪雪地帯で、重くて力のある5号蒸気機関車は除雪用として重宝され、結局廃線時まで車籍を残していました。

写真ではC155と表記されてしますが、少し古い写真ではNo.5と表記されていました。

末期にはファントリップで走ったこともありました。1972年には三重県の長島温泉遊園地の「長島温泉SLランド」にハフ1・2とともに貸し出されて走行したこともありました。

現在は石川県立尾小屋鉱山資料館(後の小松市立ポッポ汽車展示館)で保存されています。

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