古い車輌の写真

尾小屋鉄道 8 客車

ホハフ2

RP605 Web#=884 掲載2014/1/11

写真1と2はホハフ1形ホハフ2、1966/8/4尾小屋鉄道新小松車庫。

1913年四日市鉄道は名古屋電車製作所で木造ボギー客車ホハ5形ホハ6を製造。
1929年三重鉄道と合併。
1944年三重交通に戦時合併、サ341形サ342と改番。
1956年尾小屋鉄道へ譲渡されホハフ1形ホハフ2。

全長8.9m、自重4.8t、定員45名でアーチバー台車を履いた木造ボギー客車。屋根は極めて薄いシングルルーフで、車端の出入り口にはヴェスティビュールが設けられていました。晩年は木造車体に鉄板を貼り付けた所謂ニセスチールカーとなっていました。
最後はガソリンをかけて燃やすという乱暴な方法で処分されたと言う話が伝わっています。

ホハフ5

写真3と4はホハフ5、1966/8/4尾小屋鉄道新小松車庫。

1921年中勢鉄道は梅鉢鉄工所製(後の帝国車輌工業→東急車輛製造大阪製作所→新東急車輛→総合車両製作所和歌山事業所)で木造ボギー客車ボコ3を製造、後にハニ3へ改番。
1943年中勢鉄道廃止により三重鉄道ホハ11形ホハ13。
1944年戦時合併により三重交通。サ321形サ322と改番。
1957年尾小屋鉄道へ譲渡されホハフ1形ホハフ5。但し三重交通側の記録によればサ324を売却したことになっています。尾小屋鉄道側の記録ではサ322となっており、譲渡時に車両の振替があったかもしれません。
1977年の路線廃止後、老朽化していたホハフ5は解体処分されてしまいました。

全長8.8m、自重5.6t、定員54名でアーチバー台車を履いた木造ボギー客車。屋根は極めて薄いシングルルーフで、晩年は木造車体に鉄板を貼り付けた所謂ニセスチールカーとなっていました。
中勢鉄道で就役した時は前後非対称の特徴のある車体で、貫通路付のヴェスティビュールが設けられていた手荷物合造車でした。三重交通時代に貫通路の廃止と車端部のヴェスティビュールへ引戸が設けられて密閉式車体へ改造されました。

ホハフ2とホハフ5は写真で見られるように車体裾周りやウインドウヘッダー周りの錆が酷く、予備車として新小松車庫の側線に留置されていました。

尾小屋鉄道はホハフ1形7輌を10年程に渡って三重交通から譲渡されていました。三重交通では形式が別れていたのですが、尾小屋鉄道では全てホハフ1形となり入線順に連番ホハフ1〜8(4は忌番)と命名されました。