古い車輌の写真

国鉄郵便車 1 スユニ60、スユニ61、オユ61

スユニ60 2042

RJ211 Web#=888 掲載2014/1/20

写真1はスユニ60形スユニ60 2042、1970/3/2国鉄東海道本線大阪駅。

1954〜1955年に国鉄が木造客車の鋼体化改造により製造した郵便荷物合造車で67両が製造されました。荷重は郵便室が4t、荷物室が6tでした。
写真1のスユニ60 2042は木造客車ナハ23067の改造となっていますが、実態は台枠(木造車3台分の台枠で2輌の鋼体化改造車)と台車や機器流用で車体は新造されました。
改造当初はスユニ60 42でしたが後に電気暖房装置が設置され、スユニ60 2042と改番されました。


スユニ61 25

写真2はスユニ61形スユニ61 25、国鉄東海道本線大阪駅。

1965〜1968年に60系鋼体化改造車の客荷合造車オハニ61、オハユニ61形、オハニ61、スハニ62形などの改造により製造された郵便荷物合造車で、90両が製造されました。荷重は郵便室が5t、荷物室が5tでした。
写真2のスユニ61 25は、木造客車ナハフ24017→鋼体化改造でオハニ61 319→郵便荷物車へ再度改造でスユニ61 25となりました。

スユニ61 49

写真3はスユニ61形スユニ61 49、1976/12/4 国鉄福知山線舞鶴駅。

写真3は、木造客車ナハ23597→鋼体化改造でオハニ61 433→郵便荷物車へ再度改造でスユニ61 49となりました。

オユ61 4

写真1はオユ61形オユ61 4、1975/8/24国鉄東海道本線大阪駅。

オユ61形は2輌が鋼体化改造により製作されましたが、1955年にオユ60形改造車が2輌編入され合計4輌となりました。車体中央上部に並んでいるのは区分棚上部の明かりとりの小窓で郵便車のシンボルでした。
写真4は木造郵便車オユ26155→鋼体化改造で郵便車オユ60 2→オユ61形に編入されオユ61 4となりました。

鉄道郵便には郵便職員が郵便車内で郵便物を区分けし集配最寄駅で郵袋を積み下ろしする取扱便、職員は乗務するが集配最寄駅で郵袋を積み下ろしするだけの護送便、職員が乗務せず施錠したまま郵袋を運ぶ締切便に分けられていました。末期の郵便車では殆どが取扱便用車輛で、護送便用はオユ12、スユ13、スユ15、マユ33の一部とスユ43に限られていました。また護送便は人が乗れないパレット貨車と同じ構造のスユ44だけでした。電車と気動車の郵便車は全て取扱便用車輛でした。

郵便物の輸送は明治時代の鉄道開業初期にまでさかのぼります。明治中期には専用の郵便車が作られ、車内で郵便物の仕分けなどを行うようになりました。1971年が鉄道郵便輸送のピークでしたが、飛行機や高速道路網の発達でシェアを失い1984年取扱便の廃止、1986年には残されていた護送便と締切便も廃止となりました。


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