古い車輌の写真

国鉄荷物車 2 マニ60

RJ214 Web#=891 掲載2014/2/1 修正1 2014/2/3

1949〜1956年にかけて17m級木造客車の車体を解体、その台枠に鉄道院基本形客車の台枠の1/4を追加して20m級鋼製客車に改造(鋼体化改造)して、衝突時に危険な木造客車を全廃する計画が実行されまいた。台車や主要機器、金具等も極力流用されたようです。
マニ60形は鋼体化改造により製造された205輌、オハニやスハニ、オハユニ、スハユニなどから改造された360輌の合計565両が製造され、宅急便の無い時代に小口荷物輸送用車の代表として全国各地で活躍していました。

マニ60 2060

写真1はマニ60形マニ60 2060、1966/8/3国鉄東北本線仙台運転所。

木造客車ナハフ24000形ナハフ24163を鋼体化改造してオハユニ63形オハユニ63 10として就役。
荷物車に改造されマニ60形マニ60 60。
電気暖房に改造されマニ60形マニ60 2060と改番。

マニ60 2642

写真2はマニ60形マニ60 2642、1970/3/26国鉄東海道本線大阪駅。

木造客車オハニ25500形オハニ25610を鋼体化改造してスハユニ62形スハユニ62 20として就役。
荷物車に改造されマニ60形マニ60 2642。

マニ60 2684

写真3はマニ60形マニ60 2684、1966/8/3国鉄東北本線仙台運転所。

木造客車オユニ26350形オユニ26363を鋼体化改造してスハユニ62形スハユニ62 11として就役。
荷物車に改造されマニ60形マニ60 2684。
これを撮影したのはまだ東北本線は蒸気機関車が大活躍をしていた時代で、ブドウ色で塗装されているはずですが、煤で真っ黒になっていました。

マニ61 209

写真4はマニ61形マニ61 209、1970/3/26国鉄東海道本線大阪駅。

木造客車ナロ20600形ナロ20749を鋼体化改造してマニ60形マニ60 232として就役。
TR-11形台車をTR-23形台車に交換してマニ61形マニ61 209と改番。

スニ75 31

写真5はスニ75形スニ75 31、国鉄予讃線高松駅?

1946〜1948年に鉄道省は太平洋戦争で爆撃を受けて焼失した客車や電車を、とにかく動けるように最低限の復旧工事を行って70系通勤用客車として就役させました。写真5の前身は戦災で焼失したオハ31 501を復旧したオハ70 39です。
1952年になると70系客車はあまりにもアコモデーションが酷いということで、荷物車に格下げされました。オハ70 39はスニ75形スニ75 31に改造されました。日本が最も困難な時に最低限の客車として活躍した戦災復旧車の面影をとどめていました。

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