古い車輌の写真

小郡機関区 5 C58

C58 64

RJ244 Web#=921 掲載2015/1/26

写真1はC58形C58 64、1972/5/7国鉄山陽本線小郡機関区。

1939年川崎車輌兵庫工場で新製、大阪鉄道管理局米子機関区へ配属。正明市( 後の長門機関区 )、富山、備後十日市( 後の三次機関区 )、芸備線管理所などで活躍。
1944年陸軍南方方面作戦用供出機関車51両の中の1両に選定され、メーターゲージに改軌工事が行われました。泰緬鉄道で使用するためにバンコック向け船積する予定でしたが、戦争末期で輸送船がアメリカ軍の通商破壊作戦のために沈没払底して輸送できませんでした。復元工事が行われ国鉄に復帰。いくつかは泰緬鉄道に届きましたが、大型過ぎて軸重が重く使い物にならなかったようです。
1971年小郡機関区に転属。
1972年小郡機関区で第二種休車、そして廃車、解体。

C58 99

写真2と3はC58形C58 99、1972/5/7国鉄山陽本線小郡機関区。

1938年汽車製造大阪で新製、東京鉄道管理局高島機関区( 後の横浜機関区 )配属。千葉、遠江二俣( 後の豊橋機関区 )、長門で4活躍。
1972年小郡機関区へ転属。
1974年小郡機関区で廃車、解体。

このように後方から眺めるとシールドビームのヘッドライトが視界に入らず、なかなか均整の取れたスタイルとなります。煙突の前に置かれた給水暖め機がチャームポイントです。

C58 345

写真4〜6はC58形C58 345、1972/5/7国鉄山陽本線小郡機関区。

1943年汽車製造大阪で新製、仙台鉄道管理局釜石機関区へ配属。盛岡、三次、芸備線管理所で活躍。
1971年小郡機関区へ転属。
1972年小郡機関区で廃車、解体。

普通のヘッドライトを装備していたD51とは違って、ここのC58はシールドビームのヘッドライトを装備していました。砲弾型のシールドビームは新しくて銀色光り輝いているときも、写真のように古くなって真っ黒に汚れたときも不細工ですね。

写真1、4〜6のようにメインロッドがとりはずされ、ナンバープレートを失うと寂しい姿をになってしまいます。





     前のページ 次のページ