C62 17
RJ247 Web#=924 掲載2015/2/18写真1と2はC62形C62 17、1969/9/19国鉄山陽本線糸崎機関区 入換作業にC50が活躍していた田舎の機関区ですが、幹線系蒸気機関車の皇太后C62と女王C59がたくさん在籍していました。 写真を撮影した時は給炭台と給水設備に挟まれて良い写真をとることができませんでした。

1944年太平洋戦争が激しくなったころにD52形D52 69が川崎車輌で作られ、広島鉄道管理局下関機関区に配属されました。資料を眺めているとこのロコはとても出来が悪かったようで、ずっと休車が続いていたようです。 1948年日立製作所笠戸工場でC62形C62 17に改造され、岡山機関区へ配属されました。 1953年に浜松工場で重油併燃装置取付。 1954年東海道線木曽川橋梁で橋梁耐荷重試験計測時に最高時速129kmを記録、これが我が国における蒸気機関車の最高速度記録です。 1956年に鷹取工場製の新しいボイラーと交換。

写真3はC62形C62 17が牽引する列車、1972/5/7国鉄山陽本線糸崎駅。 1971年に糸崎機関区で廃車、米原駅の側線に長期留置されていたようです。名古屋の東山公園で長く野天で静態保存され、かなり傷んでいました。 2011年からJR東海リニア・鉄道館できれいに整備されて屋内で展示されています。
C62 41

写真4と5はC62形C62 41、1969/9/19国鉄山陽本線糸崎駅。 1945年太平洋戦争の最末期にD52形D52 352が汽車製造大阪で作られ、大阪鉄道管理局姫路機関区に配属されました。資料によると1947年にはもう休車となり廃車予定として放置されていたようです。 1948年同じ汽車製造大阪でボイラーを流用してC62 41が作られ、大阪鉄道管理局宮原機関区に配属されました。 1956年にボイラーの調子が良くなかったためか休車。 1957年鷹取工場製の新しいボイラーと交換。 1967年広島機関区を経て糸崎機関区へ転属。 1970年糸崎機関区で廃車解体。

サイト・オーナーはどうもこの手の幹線急行旅客列車用蒸気機関車には興味が薄くて、丁寧に写真を撮っておりません。ボイラーの端面が中途半端に丸められているのも気に食わないところです。 このページのC62 41はついでの撮影や残フィルム消化でしたし、C62 15?はもう1枚撮影しておけば番号がはっきりわかったのですが。このころの糸崎機関区には最後のC59が3輌配属されていたのですが、とうとう出会えずでした。でもC50と救援車が撮れたのでご機嫌だったことを覚えています。
C62 15?

写真6はC62形C62 15、1969/9/19国鉄山陽本線糸崎機関区。 1944年太平洋戦争中にD52形D52 112が日立製作所笠戸工場で作られ、札幌鉄道管理局長万部機関区に配属されました。 1948年日立製作所笠戸工場でボイラーを流用してC62 15が作られ、広島鉄道管理局糸崎機関区に配属されました。 1956年に広島工場で新しいボイラーと交換。 1970年小樽築港機関区へ転属。 1971年小樽築港機関区で廃車解体。
|