古い車輌の写真

糸崎機関区 5 救援車など

スエ71 21

RJ250 Web#=927 掲載2015/2/23

写真1はスエ71形スエ71 21、1969/9/19国鉄山陽本線糸崎機関区。

機関区を見学すると必ず私は隅っこに留置してある救援車や休車、廃車にカメラを向けます。ここ糸崎機関区では2輌もの救援車が配置されていました。

1929年から1941年にかけて作られたスハフ32形で、戦災で番号がわからなくなるほどの被害を受けた車輛の中から、1947年に新潟鉄工所で戦災復旧作業が行われスユ71形スユ71 3として就役しました。
1951年盛岡工場で改造を受けスユ72型スユ72 3。
162〜1964年に幡生工場でスエ71形スエ71 21。
1984年廃車解体。

スエ71 92

写真2はスエ71形スエ71 92、1969/9/19国鉄山陽本線糸崎機関区。

1932〜1939年に丸屋根のスハ32系スハニ31形スハニ35700形が製造されました。
1941年車輛称号規定改正でスハニ31形スハニ31 34。
1946〜1949年に若松車輛で戦災復旧工事が行われオハ71形オハ71 74。
1952〜1953年に鹿児島工場でマニ76型マニ76 5に改造。
1961〜1965年に幡生工場でスエ71形スエ71 92に改造。
1984年廃車解体。

給炭ホッパー

糸崎機関区の巨大な給炭ホッパーに入って来ようとするD51 489。このホッパーには何トンの石炭を置いていたのでしょう。最近の動態保存の蒸気機関車では、小さなベルトコンベアやショベルカーなどで細々と石炭を積み込んでいます。

給炭用クレーン

ものすごく背が高く見えたクレーン、トムやトラで届いた石炭を掴んで給炭ホッパーに移すためのものです。このクレ−ン全体がとても広いゲージのレールに乗っており、自走できます。あの細いはしごで高いクレーンの運転台に上るのはチト御免ですね。

石炭の積み込み作業をしているD51 489。ロコの周りにある防火用砂、手押し車、差し掛け屋根、ピット、鉄塔の上に載せられた配管などなど、蒸気機関車の活躍していた時代を脇役として支えていたものが活気を物語っています。

ロコの形式写真もいいのですが、このような煙の臭いのするようなスナップやロコの周りにある小道具の細部がわかる写真をもっと撮っておくべきでした。