国鉄宇品線
RJ258 Web#=928 掲載2015/2/241894年山陽鉄道が陸軍省の委託で広島〜宇品間にわずか17日間の突貫工事で単線の軍用線( 5.75km )を敷設し、翌日から日清戦争用の軍事物資輸送と兵員輸送を始めました。 1897年山陽鉄道が陸軍省から広島駅〜宇品駅間の軍用線を借入れて一般旅客貨物営業を開始。 1906年山陽鉄道が国有化され、鉄道院(のちの国鉄)に移管。 1915年第一次世界大戦で中国青島進攻に備えて再び軍事専用線。 1930年芸備鉄道が鉄道省から宇品線を借り受け、全線で旅客営業再開。 1937年芸備鉄道が国有化され鉄道省宇品線となる。 1945年広島に原子爆弾が投下された時には、宇品へ負傷者の輸送に活躍しました。 1966年上大河駅〜宇品駅間が廃止。広島駅〜上大河駅間が残りました。上大河駅沿線への通学者のために細々と旅客営業が残されました。乗車は原則として定期券所持者のみに限定され、そのため市販の時刻表に表示されなくなりました。 1970年の営業係数は4,049と国鉄全線で最悪でした。 1972年残っていた区間が廃止となり、宇品線は消滅しました。
C58 61

写真1と2はC58形C58 61、1969/9/19国鉄宇品線広島駅。 この写真を撮影した時の列車は写真1や2で見られるように、何両もの客車が連結され通学生主体でしたが乗客は多かったようです。この列車は先頭がC11、反対側がC58のプッシュプル編成でした。

列車はオハ35などの旧型客車が使われていました。上大河駅終点には転車台が設置されていなかったので、このまま逆方向へプッシュプル編成で広島駅へ戻って行きました。運行区間はたったの2.4kmだったので、機関士にとっては側線での入換作業に近い運転だったことと思います。
C11 330

写真3はC11形C11 330、1969/9/19国鉄宇品線広島駅。 1946年日本車輌名古屋で新製、広島鉄道管理局へ配属。ずっと広島機関区で活躍。 1970年木次線管理所、次いで米子機関区へ転属。 1972年米子機関区で廃車、解体。
C58 64

写真4はC58形C58 64、1969/9/19国鉄広島駅、たぶん芸備線の列車。 1939年川崎車輌兵庫工場で新製、大阪鉄道管理局機関区米子機関区へ配属。 1944年陸軍南方方面作戦用として供出対象となる51輌に選定。メーターゲージに改軌され、泰緬鉄道用としてバンコック向けに船積み待ちでしたが、輸送船がことごとく沈められ輸送できませんでした。のちに3フィート6インチゲージ(1067o)に復元されました。 1945年正明市機関庫( のちの長門機関区 )に所属。備後十日町支区や三次機関区で活躍。 1971年小郡機関区へ転属。 1972年小郡機関区で廃車、解体。
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