EF30 1 試作機
RJ257し Web#=934 掲載2015/3/13写真1はEF30形、1969/9/20国鉄門司機関区。 1960年にEF30 1は下関〜門司間で使用する交直両用電気機関車の試作機として三菱電機で新製され、当初は北陸本線でテストが行われました。 交流区間での運転は門司駅周辺の限られた範囲だけだったので、直流出力1800kwに対して交流出力はわずか450kw最高速度30kmにすぎませんでした。 1961年から門司機関区に配属され、海底トンネルを通過するすべての列車で活躍し、錆びない銀色のコルゲートの無いステンレス製車体は異彩を放っていました。このころには装飾用の赤い帯が抹消されていました。のちに主要機器が量産機と同じものに交換されています。 1978年に試作車EF30 1が廃車となり北九州市小倉北区の勝山公園で保存されていました。その後福岡県北九州市門司区の和布刈公園で現在まで静態保存されています。 どうも本線用大型機関車には冷たい私で、この時も後方の量産機の写真はパンタグラフが下りているので撮らずじまいでした。
ED73 1004

写真2はED73形ED73 1004、1979/8/5国鉄鹿児島本線大牟田駅? 1962年からED72型からSGを取り除いて貨物列車や20系客車列車専用として22輌が新製されました。 1968年からブレーキ周りの改造を受けて番号が+1000となりました。 1982年までに全車が廃車、解体となりました。 この写真も余ったフィルムの処分として撮影、もっと撮っておくべきでした。
スエ31 19

写真3はスエ31形スエ31 19、1969/9/20国鉄門司機関区。 1929〜1931年にかけてダブルルーフを持つスハフ34200形が105輌新製されました。 1941年車輛称号規定改正に伴いスハフ32 89へ改番。 1964〜1967年にかけて救援車スエ31 19へ改造。 この写真を撮影したころには、もうダブルルーフの客車はほとんどいなくなっていました。
スエ31 48

写真4はスエ31形スエ31 48、1969/9/20国鉄門司機関区。 1932〜1942年にかけてシングルルーフのスハフ34400形が311輌新製されました。 1941年車輛称号規定改正に伴いスハフ32 324へ改番。 1967〜1968年にかけて救援車スエ31 48へ改造。
スエ31 50

写真5はスエ31形スエ31 50、1969/9/20国鉄門司機関区。 1932〜1942年にかけてシングルルーフのスハフ34400形が311輌新製されました。 1941年車輛称号規定改正に伴いスハフ32 342へ改番。 1967〜1968年にかけて救援車スエ31 50へ改造。

当時の私にとっては本線で活躍する高速大形電気機関車よりも、検車区の片隅であくびをしている救援車のほうが本命でした。
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