古い車輌の写真

門司機関区 7 C51 62のカットボディー

C51 62

RJ258 Web#=935 掲載2015/3/19

写真1〜4はC51形C51 62のカットボディー、1969/9/20国鉄門司機関区。

C51型蒸気機関車の最後の廃車は1965年、私が16歳?の時で当然自分のお小遣いで遠くの機関区で活躍しているC51を撮りに行くことは困難でした。実際の運用についているのを見かけたのは、たったの一度だけ、50年以上前に関西本線の天王寺駅 ( 多分 ) で化粧煙突のC51とリベットだらけのオハ31系やスハ32系で組成された通勤列車を見ましたが夕刻で写真は無理でした。

1969年に門司機関区の横を急行筑紫号で通過した時に、ヤードの遠く留置線の端っこに化粧煙突を付けた汚れたカマがうずくまっているのを発見しました。若松なんかで石炭列車の牽引に活躍していたD50やD60の廃車が放置されていると思っていました。

1922年汽車製造大阪で18900形18961として新製、神戸局に配属されました。
1928年車輛称号規程改正による形式変更改番でC51形C51 62。明石、姫路、梅小路などで活躍。
1940年九州の鳥栖機関区へ転属、その後長崎機関区へ転属。
1954年長崎機関区で廃車。
このロコがいつ頃どこでカットボディにされたのか、最終的にいつ頃解体されたのかはまだ不明です。ご存知の方は教えてください。

門司機関区を見学した折にヤードの端に近づいてみると、それはほとんど出逢うチャンスに恵まれなかったC51でした。でもあちこちが赤く錆びたカットボディでがっかりしたことを覚えています。

特徴のある化粧煙突は、延長部分が無くなって ( 錆びて煙室の中へ落っこちたのか? )、好ましい就役当時の姿を取り戻していました。

さてこのC51の番号は何番だったのでしょうか? 写真で見られるようにナンバープレートはすべて取り外されていました。

mixiの我田引鉄さま、貴重な情報をありがとうございます。このロコはC51 62ということを教えていただきました。