古い車輌の写真

能勢電鉄 2 10形

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RP608 Web#=937 掲載2015/3/22

写真1は10形10、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1925年新京阪鉄道が開業に備えてP-4形9〜13の5輌を梅鉢鉄工所で新製しました。その後9と10は29と30に改番。そのうちの11が後の能勢電鉄10です。
1929年鉄道省からの通達により形式称号を付けることとなり公式にはデロ10形でしたが、社内では引き続きP-4形と呼ばれていました。
1943年戦時合併により阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併し京阪神急行電鉄となりました。
1949年京阪電気鉄道が分離されましたが京都線、千里山線は京阪神急行電鉄に留まりました。

写真2は10形10、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

1957年に能勢電気軌道に8輌が譲渡。このときに11は10と改番され、トロリーポールを装備して10+11( 元阪急21 )のMc+Mc2輌編成で永く活躍しました。
1966年トロリーポールが集電舟1本の小柄なパンタグラフに交換。
1967年廃車、解体。写真2は廃車直後で、もうダルマ状態でした。
全長12.7m、自重26.2t、出力59kwX2、定員90名。片貫通で偶数車( 10、12、14、28 )は両運転台でした。

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写真3は10形11、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1927年新京阪鉄道がP-4形19〜28の10輌を新製しました。そのうち田中車両製の21が後の能勢電鉄11です。
1958年に阪急21が能勢電気軌道に譲渡され11と改番の上、10+11のMc+Mc2輌編成で永く活躍しました。奇数車( 11、13、15、29 )は片運転台でした。
1967年廃車、解体。

10形の阪急時代と能勢電鉄時代の番号対照表です。
阪急→能勢電鉄、11→10、21→11、27→12、22→13、14→14、23→15、28→28、54→29の合計8輌でした。

写真4は10形11、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

320形が大量に転入し、もう木造の10型は出番が無くなったのでしょう。10との連結が解かれて留置線の端っこに放置されていました。11の手前に見えるのは10の住友製イコライザー台車KS-30Lでしょうか。

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写真4は10形12、1967/4/16能勢電鉄平野駅。

1927年新京阪鉄道が新製したP-4形19〜28の10輌のうち、汽車会社製の27が後の能勢電鉄12です。
1958年に阪急27が能勢電気軌道に譲渡され12と改番の上、12+13のMc+Mc2輌編成で永く活躍しました。
1967年廃車、解体。

こちら側の妻面には貫通扉のような枠が見えますが、単なる補強で非貫通です。

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写真5は10形15、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1927年新京阪鉄道が新製したP-4形19〜28の10輌のうち田中車両製の23が後の能勢電鉄12です。
1958年に阪急23が能勢電気軌道に譲渡され15と改番の上、14+15のMc+Mc2輌編成で永く活躍しました。
1967年廃車、解体。

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