古い車輌の写真

能勢電鉄 3 10形、20形

28

RP609 Web#=938 掲載2015/3/24

写真1と2は10形28、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

1927年新京阪鉄道がP-4形19〜28の10輌を新製しました。そのうち汽車会社製の28が後の能勢電鉄28です。
1958年に阪急28が能勢電気軌道に譲渡され、番号は28のまま28+29のMc+Tc2輌編成で永く活躍しました。偶数車( 10、12、14、28 )は片運転台でした。10形で28や29と番号を飛ばしたのは、これだけがMc+Tc編成だったためです。のちに20型として28+29と同じようなMc+Tc2輌編成を3本借り入れで導入したのですが、28+29を20形に変更することはありませんでした。
1967年廃車、解体。

この28ですが正面の番号に不審な点を感じるのですがいかがでしょうか。別のサイトにUpされている古い写真を見ると、28の正面の番号はもう少し小振りな書体で正面中央の窓下に書かれていました。側板の破損状況などからの推定ですが、1967年に20形を阪急に返却して廃車解体するときに、状態の良くなかった28を廃棄して状態の良かった24?の番号を28に書き換えたのではないでしょうか。
   

20

写真3は20形20、1965/4/1能勢電鉄妙見駅。

1927年新京阪鉄道がP-5形19〜28の10輌を新製しました。そのうち梅鉢鉄工所製の24が後の能勢電鉄20です。
1961年に阪急は能勢電気軌道に6輌を貸与。このときに24は20と改番され、トロリーポールを装備して20+21( 元阪急51 )のMc+Tc2輌編成で永く活躍しました。
1966年トロリーポールが集電舟1本の小柄なパンタグラフに交換。
1966年阪急へ返却、平野車庫で廃車解体。

23

写真4は20形23、1965/4/1能勢電鉄。

1929年新京阪鉄道が制御車P-5形もしくはフロ50型51〜56の6輌を新製しました。そのうち田中車両製の52が後の能勢電鉄23です。
1961年に阪急は能勢電気軌道に6輌を貸与。このときに52は23と改番され、22( 元阪急18 )+23のMc+Tc2輌編成で永く活躍しました。
1966年阪急へ返却、平野車庫で廃車解体。

写真5は20形23、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

20形の阪急時代と能勢電鉄時代の番号対照表です。
阪急→能勢電鉄、24→20、51→21、18→22、52→23、19→24、53→25、の合計6輌でした。

24

写真5は20形24、1966/1/25能勢電鉄平野車庫。

1927年新京阪鉄道が制御車P-5形10型19〜28の10輌を新製しました。そのうち梅鉢鉄工所製の19が後の能勢電鉄24です。
1961年に阪急は能勢電気軌道に6輌を貸与。このときに19は24と改番され、24+25( 元阪急53 )のMc+Tc2輌編成で永く活躍しました。
1966年阪急へ返却、平野車庫で廃車解体。


   前のページ 次のページ